ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

ビートルズのカバーをどう聴く?

ムー大陸です

 

 

先日、ジャズピアニスト、ブラッド・メルドーのアルバムを聴きました。これがビートルズのカバーアルバムなんです。

 

「Your Mother Should Know:Brad Mehldau Plays The Beatles」というタイトルです。

 

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ブラッド・メルドーはいまやベテランです。そのテクニックも円熟期に入りました。彼は若い頃からロック・ポップスをレパートリーに取り込んでました。なので、ビートルズのカバーアルバムを出しても何の不思議もありません。そして、実際彼は上手い。名曲の数々を自分なりに咀嚼し、再構築し、見事に自分の音楽に、そしてジャズに仕上げています。また、そこには深いビートルズへのリスペクトも感じられます。

 

とまぁ、このアルバムを聴いた人はそんな風に言うのかも知れません。私もそう思いました。でも、正直言って、何が面白いのか全く理解出来ませんでした。いや、と言うより、どういうつもりでブラッド・メルドーは制作したのか掴めません。そもそもビートルズの曲をピアノの弾き語りでカバー、それもジャズとしてアレンジする、その事自体に意義を見出せないのです。もちろん、ブラッド・メルドーの熱狂的なファンなら、彼がどうビートルズを料理するか楽しみなのでしょうが、そこはあまり興味が湧きません。

 

ビートルズのカバーを許さないという意味ではありません。オリジナルを超えるカバーに出会った事はありませんが、秀逸なカバーも多くあります。また、本来歌が付いている曲をインストでカバーする、これも出来によっては許容出来ます。ポール・モーリアの「恋はみずいろ」なんかその典型です。

 

ただ、ビートルズの楽曲に限っては認めたくありません。ブラッド・メルドーは咀嚼して再構築したと上述しましたが、自分なりに解釈する段階で、歌詞を全て捨てるんですよ。何をどう解釈したら、そんな事が出来るのか?例えば、「I Am The Walrus」を彼はこのアルバムで演奏していますが、もちろん歌は無い。あの歌詞を全部捨てる、これは私的には到底有り得ない事です。ボブ・ディランならどうですか?ボブ・ディランをピアノ弾き語りでカバーしたとしたら、ノーベル文学賞まで取った歌詞は無視という事です。それと同レベルに違和感がありますね。

 

何故、そんな解釈になるのか?

簡単ですね、彼がピアニストだからです。もっと言うと、歌えないからです。解釈する以前に、歌わない前提でスタートしてるでしょ、そんな馬鹿なと感じます。

ジャズピアニストがビートルズをカバーしたければ、方法は二つです、自分で歌いながらピアノを弾くか、歌手とコラボする。ピアノの演奏で聴くビートルズはどんなに上手くても味気ないし、そもそも意義を感じません。

 

ビートルズのカバーは数知れずあります。恐らく史上最もカバーされたアーティストでしょう。インストのカバーもたくさんありますし、随分と聴きました。例えば、同じインストで言うと、ギタリストのアル・ディメオラのカバー。

 

「Strawberry Fields Forever」アル・ディメオラ

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これも同じく上手いけど意義が見出せませんでした。

バロック風に弾いてみるなんてアルバムも聴いた。企画としてはありだけど、コンサートの余興程度。フルアルバム聴くのは辛かった。ア・カペラでカバーっていうのもあった。これは歌があります、もちろん。面白い試みですが、何曲もやる必要が感じられない。

 

The Beatles On Baroque」

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「Come Together  An A Cappella To The Beatles

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私の個人的な傾向ですが、ビートルズのカバーでいいと思えるのは卓越したヴォーカリストによるものが多いです。特にソウル系の黒人シンガーのカバーです。歌唱力がビートルズに引けを取らない、フェイクなどの部分ではむしろ勝る、そういう歌手のカバーです。それでもアレンジは比べるべくも無いほど凡庸なものが多いですが。

オススメはオーティス・レディングスティーヴィー・ワンダーあたりでしょうか。

 

「Day Tripper」オーティス・レディング

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「We Can Work It Out」スティーヴィー・ワンダー

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とにかく、歌は無いといけません。

それでは、また。

 

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「I Sing」

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「楽しんだモン勝ち!」

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普通のジャズ

ムー大陸です

 

以前友人からこんなことを聞かれました。

「ジャズを聴きたいんだけど、

 何か良いのない?」

分かりますね。普通に生活しているとジャズに出会うなんて事はそうはありません。何しろヒットしてませんから、自然に耳にする事は無いんです。今ヒットしている音楽と繋がっていれば、ジャズへ手を伸ばすこともあり得ますが、中々影響を感じませんよね。

 

しかし、その友人は素晴らしいことに、わざわざジャズへの扉を開こうとしたんです、重い重い扉をです。まぁ、普段から本や映画についても色々掘り下げてる奴だったので、不思議ではありませんでしたが。そんな時、彼は人よりちょっとだけジャズを知ってそうな私に声をかけてくれたわけです。これはちゃんと答えなければいけません。

 

とは言え、ジャズで何がいい?って凄いアバウト。おぼろ気過ぎて答えにくい。私は先ず言いました。「ベニー・グッドマンとかデューク・エリントンなんかのビッグバンドがいいんじゃない?」。はい、定番です。耳馴染みの曲もあるし、ソロもある、ジャズの魅力が詰まっています。

 

ところが、友人は不満そうでした。ビッグバンドは少しは聴いてことがあるらしい。そして、こう言いました、

「いや、そういうのじゃなくて、

 普通のジャズ」

はい、来ました。「普通のジャズ」。当たり前なんですけど、ベニー・グッドマンデューク・エリントンも普通にジャズです、間違いありません。

 

ただ、彼が言わんとする事を汲み取って言うならば、そういう大人数でやる派手な音楽じゃなくて、いいとこ4、5人でやるもうちょい静かなもの。ショットバーとかに流れてるといい感じのジャズ、そんなところです。それが一般的には「普通のジャズ」なのでしょうか?ドラマなんかのイメージとかもあるかも知れません。

 

さて、私はその質問にそれほど深く考えずに、

「なら、セロニアス・モンクだね」

と答えました。

友人は喜んで、モンクを聴いてみると言い、そこで話は終わりました。確か後日モンクを聴いて、気に入ったはずです。

 

このやり取りで私は自分で驚きました。

友人が尋ねた「普通のジャズ」について、私は自然とセロニアス・モンクと答えたのです。つまり、セロニアス・モンクこそが私にとって普通のジャズである事を意味します。大好きなチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスではなく、モンクを選んだことに自分でも大変驚きました。

 

何となく、誰に言われた訳でもなく、ジャズの正統って作曲するミュージシャンを選びます。ジャズの歴史からして私の中のビッグバンド時代の正統はデューク・エリントンです。その後、モダンジャズというか、今回で言うところの普通のジャズの時代になり、その正統はセロニアス・モンクに引き継がれたと思っています。デュークに比べてモンクは地味と言うか内省的と言うか、デュークが陽ならモンクは陰みたいなところがあるのです。正統がそう変わったからこそ、ジャズ自体がそう変わった、こんな風に思うのです。いや、これは私の勝手な思い込みで、誰からも賛同を得た事は無いですよ。一人の音楽家だけが正統で、全てが変わるなんて現実的ではありませんから。

 

そう分かっていても、モンクこそが正統という思いは今でも消えません。その事をあらためて考えさせられたのが、上述友人からの質問でした。そんな訳で今でもその質問の事は忘れません。皆さんも是非モンク聴いて下さい。ジャズっぽいジャズって思いませんか?

セロニアス・モンク「Round Midnight」

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「あやかし」

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「Evergeen」

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ビバ!歌謡曲⑨〜「ズンドコ節」

ムー大陸です

 

 

 

私のお気に入りの歌謡曲をオススメするビバ!歌謡曲のコーナーです。前回予告した通り、今回は、

 

「ズンドコ節」

 

です。

 

前回、「夢は夜ひらく」を取り上げました。

muutairiku.hateblo.jp

カバーする度に歌詞が変わり、その上タイトルの前に「⚫︎⚫︎の」と歌手の名前が付く曲があります。その代表的な2曲が「夢は夜ひらく」、そして今回取り上げる「ズンドコ節」です。

 

「ズンドコ節」は「海軍小唄」と呼ばれる歌が原曲です。「汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも ホームの陰で泣いていた 可愛いあの娘が 忘らりょか トコズンドコ♩」最後の部分「トコズンドコ」がお囃子です。

「海軍小唄」

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この歌も「夢は夜ひらく」同様、口伝で広まっていた俗謡です。軍人の悲哀をちょっとコミカルかつ自虐的に歌ってます。なので、権利関係の問題が無いためか、カバーが盛んに行われます。カバーは上記の「海軍小唄」のメロディとオリジナルのメロディを組みあわせて、主に「海軍小唄」の部分がサビになるような構成で作られます。歌詞は都度オリジナルのものが用意され、大抵タイトルには「⚫︎⚫︎の」と歌手名が付きます。「夢は夜ひらく」の場合、オリジナルの歌詞ではなく、藤圭子盤のカバーも多いですが、そういうのは殆どありません。

 

最初に広く人気となったのは田端義夫氏の「街の伊達男」と名付けられたもの。

「街の伊達男」

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しかし、ドコ ズンドコというお囃子はあるけれど、「海軍小唄」のメロディはありません。メロディは「銀座八丁」という歌のメロ。当初は「銀座八丁」と知らずに使ったらしいです。ただ、これは1947年の作品で、ちょっと古い。今聴くには多少厳しいかも知れません。また、実質「ズンドコ節」とは言いにくいです。

とは言え、この歌のお陰で「ズンドコ節」をアレンジしてカバーするという意識が生まれました。

 

そして、1960年映画スターがカバーします。小林旭氏が「アキラのズンドコ節」をリリース。

「アキラのズンドコ節」

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小林旭氏はその歌唱力以上に魅力溢れるシンガーで、民謡やらコミックソングを見事に自分流で歌いこなす日本歌謡界の宝です。この「アキラのズンドコ節」も素晴らしく、とぼけた味がたまりません。

「ズンドコ節」のカバーとしても、完全オリジナルのメロディと「海軍小唄」の組み合わせ、「ズン ズン ズンドコ」というオリジナルとは異なるお囃子、そして、「アキラの」と名前を付けたこと、あるべき姿を整えたのはアキラ盤です。この盤が後世に与えた影響は大です。ただ、これはB面だったんです。なので、記録上はヒットしたわけではないんです。

 

それから9年後、1969年にドリフターズがカバー。名付けて「ドリフのズンドコ節」。

「ドリフのズンドコ節」

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ドリフはコメディアンとしての顔の方が有名ですが、ビートルズ来日公演では前座を務めた立派なバンド、ミュージシャンです。彼らのヴァージョンは、時代の波でしょうか、8ビートでロック色が強いです。ノリが良くて好きですね。お囃子は8ビート対応で「ズンズンズンズンズンズンドコ」になってます。そして、ドリフ盤はオリジナルメロディ部分がありません。「海軍小唄」部分をドリフのメンバーが一人づつ歌うという構成です。それも良い。何と言っても、今までと違うのは、このドリフ盤は大ヒットしたということです。遂に「ズンドコ節」がヒットチャートを席巻しました。

 

それから多くのカバーが生まれていますが、やはり、決定的なカバーは氷川きよし氏の「きよしのズンドコ節」でしょう。

「きよしのズンドコ節」

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きよし盤はアキラ盤と同じ構成です。お囃子も似ていて「ズン ズンズン ズンドコ」です。また、「パパヤ」のコーラスはドリフ盤から。この盤の貴重なところは氷川きよし氏の歌唱力です。「ズンドコ節」はコミックソング的にカバーされる事が多いため、本格派の歌手のカバーは意外と少ない。その上シングルとなれば、初めてでしょう。この盤が素晴らしいのは歌としてきっちり聴ける「ズンドコ節」であることです。

 

味ならアキラ盤、ノリならドリフ盤、歌唱力ならきよし盤です。どれがとなると、もう好みです。私はドリフのノリに一票かな。

 

その他バラエティの富んだカバーは多数あります。その中で面白いのは、ピンク・マルティーニの「Zundoko」。

「Zundoko」ピンク・マルティー

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あのジャズバンドのピンク・マルティーニがやらかしました。幅広い音楽性を持つピンク・マルティーニですから、やりたかったんでしょうね。演奏は艶っぽくて良い。ドリフ盤のアレンジを踏襲、歌詞は「海軍小唄」をそのまま歌っています。ただね、これ日本語下手過ぎ!聴くと笑ってしまう。

 

零心会のズンドコ節」、零心会は80年代のストリートパフォーマーの劇団です。

零心会のズンドコ節」

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彼らのヴァージョンはTVドラマのエンディングに使われました。中々の社会派です。「ズンズン ズンズン ズンズンドッコー」というお囃子もオリジナルです。ただこれは入手が難しいかも。

 

その他、「ケーシーのズンドコ節(ケーシー高峰)」、「ケンヂのズンドコ節(筋肉少女隊)」、レ・ロマネスクの「Zundoko-Bushi」あたりは正直キワモノっぽいです。

この歌のカバーを見つけたら、必ず聴くようにしてます。結構めちゃくちゃなの多いです。でも、みんなこの歌好きなんだね、それが良く分かります。うん、私も好きです。

それでは、また。

 

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漫画の実写化を考える

ムー大陸です

 

 

 

今回のテーマはタイトルの通り、漫画の実写化を考える、です。

以前、「こんな映画は勘弁して下さい」というタイトルで、小説や漫画の映画化について書きました。今回は漫画に絞って更にそれを考えたいと思います。

 

先般、漫画「セクシー田中さん」のテレビドラマ化をめぐり悲しい事件が起こりました。私はあの漫画を読んでいないので、直接語ることは出来ません、芦原先生のご冥福を祈るばかりですが、漫画の実写化について思うところを書いていきます。

 

まず、私の基本的なスタンスとして、漫画とアニメ、ドラマ、映画だったら、常に漫画の側に立ちます。それは漫画が圧倒的に一次創作であるケースが多く、その逆、例えば、人気ドラマがコミカライズのようなものはレアだからです。そして、私は漫画を読んで育ちました。映画やドラマももちろん観ましたけど、幼い頃からずっと触れて来たのは漫画です。自分で漫画を描いていたこともあったし、漫画家の先生は憧れなんです。そんな私にとっては、漫画を実写化することは重要ではなく、むしろ迷惑なことが殆どです。漫画ファン、原作至上主義者の極論でしょうが、お付き合い下さい。

 

よく実写化を批判する時に、例えば、「進撃の巨人」や「テラフォーマーズ」と言った名前が挙がります。失敗作と言われている作品を例にすることが多いです。それだと、「ほら、だから言ったでしょ」的に批判して終わってしまいます。なので、今回は成功と言われている作品、興行的にも、評価、評判も上手く行ったとされている作品を取り上げて、実写化の意義を問うていきたいと思います。

 

その作品は「るろうに剣心」です。

るろうに剣心」は週刊少年ジャンプに連載された人気漫画で、映画も合計5本製作され、シリーズ興行収入193億円という大ヒット。つまり、商売として大成功したのです。一方、漫画実写化成功例としてネット上の意見を調べてみると、ねとらぼ、みんなのランキングなど各種ランキングで必ず上位に、それも大抵5位以内に顔を出しています。これは映画を観た人たちが面白いと感じたり、原作ファンからも評価された結果と思われます。

 

しかし、私はそう思えませんでした。

私は漫画「るろうに剣心」全部読んでます。単行本も全巻持ってます。アニメも観ました、そして、実写映画も観ました、全部。

第1作の映画を観た時、こう思いました。キャストは完璧。強いて言えば、斉藤一役の江口洋介氏だけ年を取りすぎているが、それも許容出来る。また、アクションシーンが素晴らしい。重さを捨てて速さを重視した殺陣が独特で、神速と呼ばれる剣心の動きを表現していました。何よりも映画化したストーリーが単行本の5巻あたりまでの小さなエピソードの積み重ねの部分からであり、敵役である鵜飼堂刃衛も大物感たっぷりに登場した割りに簡単にやられてしまうというのが原作の展開だったので、2時間の映画に収まりが良かったのです。短いエピソードを映画用に拡大した印象を受けました。ここがキモだと思うのです。映画は2時間、テレビドラマは1回45分程度、これにフィットさせるには原作の分量のわずかな部分しか出来ないのです。「るろうに剣心」の第1作はその分量を絞っていました。そのため、映画の展開に余裕があり、変な設定の改変をしなくて済んだのです。実写映画には否定的な私でさえよく出来た実写化だと感じました。

 

ただ同時に、続編を作ったら、十本刀編を取り上げたら、絶対上手く行かないと思いました。何故なら、十本刀編は作品最大のクライマックス、エピソードが大きくなるからです。ですから、続編を作らないことを密かに願いました。しかし、ご存知のように十本刀編は大々的に映画化、前後編に分かれてされました。合計4時間以上かければ、映画化可能と思ったのでしょうか?

 

一方、第1作以上にキャストは豪華。初登場剣心の師匠・比古清十郎に福山雅治氏を起用したのは驚きました。というのも、十本刀編のクライマックスでは比古清十郎は十本刀の巨人・破軍の不二と闘いを繰り広げます。このシーンは「るろうに剣心」シリーズを通して私の最も好きなシーンで、どの様に実写化されるのか期待が高まりました。アクションは更に凄くなったとの評判もありましたし。

 

しかし、そのシーンがどうなったかご存知でしょうか?オールカットです。全体的なストーリーが大きく改変され、原作では大活躍の十本刀が、殆ど見せ場すら無いモブキャラに成り下がってしまいました。まともに描かれたのは天剣の宗次郎くらいかな、神木隆之介氏はピッタリだった。結果、第2作、第3作は第1作とは比べ物にならないゴミ映画となりました。本当に腹立たしい。驚いたことに、映画評論家連中はこれを褒めていた。第1作より良くなったと言う人もいた。的外れだと感じました。アクションが素晴らしいとかそういう問題以前にストーリーが破綻しているんです、あの映画は。少なくとももう「るろうに剣心」ではありませんでした。

 

第1作の時に感じた、分量を絞って、映画の中で膨らますことがキモというのを改めて感じました。第2作、第3作は明らかに尺が足りていません、キャパオーバーでした。十本刀一人ずつエピソードを展開する余裕は無く、国家転覆計画を改変してストーリーを短縮せざるを得なくなるという典型的な悪い漫画実写映画でした。

 

第2作、3作は観ると悲しくなります。ではよく出来た第1作を観て嬉しかったのか?いえ、そんな事はないんです。出来て当たり前ですから。つまり、漫画愛の私にとって実写化は良くても嬉しくない、悪ければ悲しいだけのシロモノなんです。

 

漫画と実写映画は別物?いえ、別じゃありません。名前使っておいて、都合が悪くなると別物とは卑怯です。漫画家もその様に割り切る方もいます。精神衛生上そう考えると解釈します。私は一ファンでしかありませんし、何の権利もありませんが、その作品を愛する者として言いますと、漫画だけで充分楽しんでいます。もし、それでも実写化するなら、基本完全コピー以外認めたくないです。時間や予算、技術の問題でそれが無理なら是非諦めて頂きたい。また、映画監督や脚本家独自の演出とか全く必要ありません。そして、それはあくまでスタート地点であり、作品の良し悪しはその先の話です。

 

以前のブログでも書きましたが、映画界は何かを映画化するという発想を捨てるべきです。テレビドラマも同様です。自分たちで面白いストーリーを考えましょう。漫画家たちはそれをずっとやって来て今があるんです。週刊連載なら毎週それを考えるんです。正直、映画監督、脚本家あたりとはクリエイターとしての密度、覚悟が違うように思います。私の中では映画界の巨匠も、若手売れっ子漫画のはるか下に見ています。

映画監督や脚本家がそんな事はないと言うなら、頼もしい限りです。

オリジナル脚本を楽しみにしてますよ。

それでは、また。

 

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「鬼火」

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「死ぬまで生きてくんです」

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誇り高きジャズ

ムー大陸です

 

 

 

今回はジャズ・ヴォーカルについてのお話です。ジャズ・ヴォーカルって妙な位置付けだと感じませんか?例えば、ロックの世界ではヴォーカリストはバンドの顔。もちろんギタリストも目立つけど、真ん中はヴォーカリストのポジションです。ソウル・ミュージックの世界ではより明確です。バンドではなく圧倒的な歌唱力を持つソロシンガーが多数存在し、それがソウルの醍醐味の一つです。

いずれにしてもスーパースターは圧倒的にヴォーカリストに偏っているでしょう。

 

一方、ジャズではちょっと事情が違う。

もちろん、伝説的なヴォーカリストはいます。ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルドなどなど。しかし、決して彼らはジャズの中心ではない。ジャズの正統でもない。その扱いはどこかいかがわしいもののようで、隅っこに追いやられている感じすらする。昔、私はポップ・ミュージックに飽きて、ジャズを聴こうと思ったことがありました。その時ジャズの勉強のためにジャズ名盤100みたいな本を買いました。その本は楽器ごとに名盤を紹介し、最終的に100枚を選んでいました。先ず、トランペットから始まるんです。次にサキソフォン。それから、ピアノと言った具合に、ジャズの中心になる楽器順と思われるような構成になっていました。さすがにベースとかになってくると、その他みたいな括りになっていたと思いますし、ビッグバンドはビッグバンドで一つの項目でした。

 

そして、ヴォーカルは最後なんです。

その本だけじゃなかったと思うんですよ。他にも同じような構成の本を見たことがある。アーティスト別だったとしても、ヴォーカリストは最後に来る。決してトリを務めている訳じゃありません。ヴォーカルはね、ちょっと別ですよ、みたいに収録する。そういう意識が根底にある。

 

基本的にジャズはインストゥルメンタル、つまり歌無し演奏のみの音楽なんです。歴史を遡ってビッグバンドの時代、彼らジャズマン達はちょっとしたオーケストラ並みのバンドを組んで全米をツアーしました。どのバンドにもソリストがいて、彼らが演奏で会場を盛り上げる。カウント・ベイシーデューク・エリントンベニー・グッドマンなどどこのバンドもみんなそうです。残されたレコードもそういう構成の曲ばかりです。全体の演奏の中にソロがいくつか入っています。一つって事はない。

 

では観客達はそうしたソロを期待してバンドを見に来るんでしょうか。もちろん、そういう人も少なからずいたとは思いますが、大半はそうではないのです。実は多くのバンドが専属のシンガー、つまり、ヴォーカリストを雇っていました。何故か?もちろん歌ってもらうんです。そして、それがバンドの人気に繋がるからなんです。つまり、多くの観客はやはり歌を聴きに来るんですね。当然と言えば当然ですが。

 

ただ、オーケストラ、つまり、ビッグバンドの演奏家たちにとっては必ずしも面白くない訳です。自分たちが意匠を尽くした演奏が、独創性に富んだソロが、歌よりも評価されないなんて。やはり、観客は素人だ、ジャズの真髄がそう簡単にわかる訳ない。そんな彼らに対して仕方なくシンガーも用意するけれど、本当に我々が伝えたいのは演奏だ。そんな風にジャズマンたちは思ったことでしょう。ビッグバンドあるあるとして言われることなんですが、シンガーと観客はそのバンドの人気曲の歌詞を知っているが、演奏家たちは知らない。

 

これこそが誇り高きジャズマンたちの思考です。彼らにとって歌は不要なもの、でも商売のために無くてならないもの。そんな不都合なものなのです。だから、どこかいかがわしい存在として隅に置く。今のジャズはビッグバンド華やかな時代とは随分と異なります。それでもジャズの正統はヴォーカルではないという意識は充分残っています。

 

私もジャズにそれほどヴォーカルを期待していないですね。ジャズマンたちの思考に毒されたのかな。

それでは、また。

 

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「混沌(カオス)」

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キング・オブ・ジャパニーズ洋楽は?

ムー大陸です

 

洋楽と一口に言っても、色んなものがあります。特に日本で売れた洋楽というのは、必ずしも本場アメリカやイギリスで売れたものと一致するとは限りません。理由は色々あると思いますが、1970年代以前だと、まず情報が少なかった。圧倒的に情報が少ないため、レコード会社自身も手探りの状態。海外で売れているものを売るというよりは、日本で売れそうなものを自身の判断でセレクトして売るという姿勢でした。だからこそ、クイーンにいち早く注目したし、チープ・トリックをスターダムへ押し上げることが出来た。一方で、そうした姿勢は日本でだけ売れた「ジャパニーズ洋楽」ないしは「ナンチャッテ洋楽」を数多く生んで来ました。例えば、自分の母国では無名みたいなのですね。

また、80年代以降はMTVの普及もあって、アーティストが動いている姿を見る機会が格段に増え、情報もタイムリーに捉えるようになります。そんな中でも、米英以外の国からやって来るポップス、例えば、ユーロビートなどには米英で相手にされないけど、日本で人気が高いものも多くあり、「ジャパニーズ洋楽」の質が変化します。

その他、日本のドラマ、CMに使われたなど独自の理由から日本で売れた洋楽は数多くあります。今ではネットで繋がってますから、「ジャパニーズ洋楽」は生まれにくいでしょう。そんな仇花、「ジャパニーズ洋楽」のキングは一体何か決めてみようという企画です。

 

以下が日本で売れた洋楽ランキングです、

①Beautiful Sunday  

   ダニエル・ブーン

② To Love You More

   セリーヌ・ディオン

 withクライズラー&カンパニー

③All I Want For Christmas Is You

 (恋人たちのクリスマス) 

 マライヤ・キャリー

④ Always Love You

     ホイットニー・ヒューストン

⑤Sound Of Silence  

  サイモン&ガーファンクル

⑥The Lovers Of The World(男の世界) 

  ジェリー・ウォレス

⑦Flashdance What A Feeling

  アイリーン・キャラ

Last Christmas  

    ワム

⑨I'm In The Mood For Dancing

(ダンシングシスター)

    ノーランズ

⑩ナオミの夢 

 ヘドバとダビデ

 

いかがでしょう?どう感じましたか、このランキングを見て。私は「意外と普通」と思いましたよ。もっと変な曲がたくさん入っていると思ってたんですけど、あまり「ジャパニーズ洋楽」はありませんね。

と言うのも、ビルボード1位に輝いた曲が4曲もあるんですね。③④⑤⑦は全米でも大ヒットですから、真の洋楽です。

 

①は日本のテレビ番組で使われて、大ヒットしました。160万枚を超えるスーパーヒットです。日本語カバーもいくつも出ました。田中星児氏のヴァージョンはヒット、子供番組の歌手でしたが、紅白にも出場しました。ただ、この曲はアメリカでも15位まで上がっており、日米の温度差はあるものの、日本独自とは言いがたい。

②は日本のドラマの主題歌。あのデヴィッド・フォスターがドラマ用に書き下ろしたんです。クライズラー&カンパニーとのコラボも日本発の企画でしょう。しかし、セリーヌ・ディオンは大物過ぎるし、デヴィッド・フォスターの曲を「ナンチャッテ洋楽」とは呼べません。セリーヌ・ディオンの母国カナダでもヒットしてますし、これも違います。

⑧はワムのヒット曲です。今でもクリスマスが近づくと、チャートにランクインする定番。なので、これも除外します。

 

残りは⑥⑨⑩です。

⑨のノーランズはキャンディポップの売れっ子でした。よく日本にも来てました。売れなくなってからは歌謡曲のカバーなども出しており、その頃は確かにナンチャッテなところがありましたが、この曲は彼女たちの母国イギリスでもヒットしていますので、日本独自ではありません。

 

では、見るからにいかがわしい⑩は?

これはそもそも洋楽ではないと考えるべきです。確かに日本語とヘブライ語二つのヴァージョンがありました。でも、ヒットしたのは日本語版のおかげです。レコード会社の括りとしては洋楽として販売したのでしょうが、外国人歌手が日本語で歌ったものを洋楽とは呼びにくいです。ただ、これ大好きですけど。

はい、最後の1曲、⑥です。

 

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これこそが「ジャパニーズ洋楽」のキングです。これは日本の男性用化粧品のCMソングとして作られ、日本でだけ大ヒット。シンガーのジェリー・ウォレスはアメリカのカントリーシンガーです。カントリーチャートではヒットが多数ありますが、ポップチャートではまるで振いません。本来なら、日本で70万枚も売る人気はないでしょう。何故彼が抜擢されたかは不明ですが、中々曲と声が合っていていい出来です。

CMにはチャールズ・ブロンソンが出演、あごを触りながら「う〜ん、マンダム」と商品名を言います。これが流行。曲のタイトルも途中から「マンダム 男の世界」になります。レコードジャケットにチャールズ・ブロンソンが使われるタイミングでタイトルまで変わってしまう。まぁ、歌詞の中にもマンダム出てくるから、タイトルもマンダム付いてた方がいいと思います。

これがCMです。

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ただ、これ作曲者不明です。多分、日本人じゃないかと思うんです。日本人が作ったものが洋楽か?という問題はあります。明確に日本人だとしたら考えますが、不明ということで、「キング・オブ・ジャパニーズ洋楽」は「マンダム 男の世界」ということで。

それでは、また。

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「I Sing」

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「ノンフィクションロード」

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彼とか彼女とかどっちでも

ムー大陸です

 

 

 

前回「The House Of Rising Sun」について話をした時、アニマルズのバージョンは素晴らしいが、歌詞の変更はあまり支持しないと書きました。歌詞の変更とは、オリジナルでは娼婦に身を落とした女の歌だったが、歌詞の主人公を男にした( a poor girl が a poor boyに)ため、朝日のあたる家は売春宿ではなく、刑務所のような存在に変わってしまった。これは果たして変える必要があったのか?洋楽って意外と性別の変更って多いとも言いました。

 

「The House Of Rising Sun(朝日のあたる家)」 アニマルズ

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今回は正にそれがテーマです。

 

洋楽ではシンガーの性別に合わせて、歌詞を変える事があります。しょっちゅうではありませんが、普通に行われてました。少なくとも80年代くらいまでは。

私がそれを意識した曲を例にとって説明します。その曲は「Please Mr.Postman」です。私はあの曲をビートルズで最初に聴きました。あの曲は「彼女から手紙が来るはずなんだ、郵便屋さんちゃんと見てよ!」って歌詞です。つまり、英語では「From My Girlfriend」という歌詞です。しかし、この曲オリジナルはマーヴェレッツというガールズグループの大ヒットです。彼女たちのバージョンではそこは「From My Boyfriend」になっているわけです。70年代に入ると、カーペンターズがこの曲をカバーしましたが、歌っているのはカレンですから、同様に「From My Boyfriend」です。

「Please Mr. Postman」 ビートルズ

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「Please Mr. Postman」 マーヴェレッツ

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「Please Mr.Postman」 カーペンターズ

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あるいは、ビートルズの「I Saw Her Standing There」を80年代アメリカのティファニーという歌手がカバーしました。タイトルが「I Saw Him Standing There」となってました。

「I Saw Her Standing There」 ビートルズ

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「I Saw Him Standing There」 ティファニー

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また、クリスタルズの「Da Doo Ron Ron」の歌詞、「his name is Bill(彼の名前はビル)」でしたが、70年代ショーン・キャシディ盤では「her name is Jill(彼女の名前はジル)」となってます。

「Da Doo Ron Ron」 クリスタルズ

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「Da Doo Ron Ron」 ショーン・キャシディ

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はい、こういうの意外とありますね。

アイドルのラブソングですから、気持ちはわかります。ただ、そこまで必要かと思います。男が女歌を歌ってもいいと思います。当時はジェンダレスなんて考えは浸透してないでしょうし、そういう視点ではなく純粋に歌手の表現の問題として厳密に変える必要を感じないんですよね。

ましてや、「The House Of Rising Sun」の設定変更は歌詞の根幹に関わることだから、やるべきではないと思うんです。

 

 

日本の例になりますが、私の大好きな歌で「戦争は知らない」。これはカルメン・マキ氏が歌った名曲で、作詞は寺山修司氏。素晴らしい歌詞です。

 

「野に咲く花の 名前は知らない だけど 野に咲く花が好き
 帽子にいっぱい 摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの」

「戦争の日を 何も知らない だけど私に 父はいない
 父を想えば あゝ荒野に 赤い夕日が 夕陽が沈む」

 

「戦さで死んだ 悲しい父さん 私は あなたの娘です
 20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの」

「見ていて下さい 遥かな父さん いわし雲とぶ 空の下
 戦さ知らずに 20才になって 嫁いで母に 母になるの」

 

「戦争は知らない」 カルメン・マキ

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これは見事な反戦歌で、1965年が舞台です。つまり、終戦から20年後ですね。

戦争で父親を失った娘が20年後結婚するというストーリーです。

この歌は寺山氏の劇団にいたカルメン・マキ氏のために書き下ろしたものですが、これをザ・フォーク・クルセダーズがカバーしました。彼らはメンバー全員男性ですが、「私はあなたの息子です」とはなりません。普通に女歌のままです。そうじゃないとおかしいし。当然、男がカバーして、「お嫁に行くの」と歌っても全然問題無いのです。いや、アレンジや軽快さゆえに、こちらの方が優れているとさえ思います。

 

「戦争は知らない」 ザ・フォーク・クルセダーズ

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アニマルズの「The House Of Rising Sun」もあれだけアレンジや歌唱が素晴らしいのだから、設定娼婦のまま、女の悲劇を歌っても良かったんじゃないでしょうか?英語のネイティブの感覚がいまいち掴めないんですけど、hisとかherを変えなきゃいけないんでしょうか?オリジナルのままがいいと思います。

それでは。また。

 

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プルトニウム

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「死ぬまで生きてくんです」

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名曲たちの成績表⑨〜「The House Of Rising Sun」

ムー大陸です

 

過去の名曲たちのチャートアクションに注目しつつ、その素晴らしさを紹介する名曲たちの成績表のコーナーです。今回はこの名曲、

 

「The House Of Rising House(朝日のあたる家)」

 

です。

 

こちらは名曲中の名曲です。

元々はアメリカで歌い継がれるフォークソングです。現在、1930年代に録音されたものが最古のものとされていますが、実際にはその二世代前くらいから歌い継がれているようです。多くの歴史的ミュージシャンにカバーされています。ウディ・ガスリー、レッドベリー、ジョーン・バエズ、そしてボブ・ディランなど、ブルース、フォーク、カントリーの枠を超えて愛されて来ました。

 

The Rising Sun Bluesとも呼ばれ、娼婦に身を落とした女の嘆きを歌っています。ただ、私が聴いた41年録音とされるウディ・ガスリー盤はそんな内容にも関わらず明るい曲調なんです。それが徐々に短調に塗り替えられ、歌詞にマッチした曲調に変化し今に至ります。

 

ウディ・ガスリー

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さて、このコーナーの趣旨に沿って、ヒットチャートの話を。ご存知の方も多いでしょう、1964年アニマルズのカバーが大ヒットし、全米1位に輝きます。これはもう絶品です。エリック・バートンの声が切なく、アラン・プライスのオルガンが美しいのです。ギターのアルペジオが癖になる。これを無性に聴きたくなる時があって、そんな時は決まって大音量で聴きますね。口伝の民謡がロックになってヒットチャート1位ですよ、ある意味奇跡のような話です。

 

アニマルズ盤

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なので、この曲の最強ヴァージョンはアニマルズと信じて疑いませんが、その誕生にはボブ・ディラン盤の影響が大だと思います。ディランはこれをファーストアルバムで録音します。アニマルズの2年前です。あくまでフォークの範疇ですが、アニマルズ盤のギターアレンジはディラン盤をベースにしてると思います。ディランのヴォーカルはあのしゃがれ声です、それもエリック・バートンに影響を与えていると思っています。

 

ボブ・ディラン

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アニマルズ盤はフォークソングをロックアレンジしたお手本のように評価され、ディランも気に入っていたと聞きます。私はこの二つはとても似ているように感じるんです。ディランはこの曲をアニマルズのように演奏しろと言われるのが嫌で、歌わなくなったと言われてますが、自分のアルバムの通り演奏すれば、結構近いと思うんだけど。まぁ、オルガンは無いけどね。

 

ただ一つだけ、不思議に思うのは歌詞です。歌の主人公を男性にしてること。もちろん歌うのが男性だからということなのは分かります。それによって、娼婦に身を落とした女ではなくなり、朝日のあたる家は刑務所のような位置付けになってしまいました。それ変えた方が良かった?男が女の歌歌ってもいいと思うんだけど。洋楽って結構これやるんだよね。本当はオリジナルのままで聴きたかった。そこだけ不満。

 

さて、そのアニマルズ盤から6年後、再びこの曲がチャートに戻って来ます。それがフリジド・ピンク盤です。これはハードロックアレンジとでも言うのかな。いや、それほどハードでもない。ちょっと中途半端な感じです。1970年に7位を記録しました。でも今では忘れられてます。この盤はヒットの割に影が薄いです。

 

フリジド・ピンク盤

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その後、ヒットチャートにランクインするものはありませんが、多くのアーティストがカバーし続けています。決定盤はアニマルズ、これは不動ですが、変わったところを紹介すると、サンタ・エスメラルダのディスコ、ニーナ・シモンのジャズ、これらは随分とアップテンポで面白い。外し技として楽しみましょう。

 

サンタ・エスメラルダ盤

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そして、是非触れておきたいのが日本語カバーです。70年代に浅川マキ氏がこの歌に日本語歌詞を付けます。これが素晴らしい。タイトルは朝日楼とも呼ばれています。正にそれが本当の名前ですよね。売春宿朝日屋くらい安っぽい場末感があってもいいかも。何で朝日のあたる家なのかよく分からないです、そもそも。

いずれにせよ、浅川盤ではオリジナルへの敬意が感じられる娼婦の悲劇が描かれています。これを彼女自身が歌っています。ライブ録音ですね。何て言うか、不幸で悲しんでいるのではなく、無表情で空っぽになってる感じがこの人の歌から伝わって来ます。オススメです。

 

浅川マキ盤

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しかし、しかしですね、その浅川盤をちあきなおみ氏がカバーするんです。この歌が凄まじい。浅川盤と違って、底辺でのたうち回って、もがいている感じです。迫力に圧倒されます。名盤間違いない浅川盤すら凌ぐ出来です。元々歌唱力には定評がある人ですが、これは必聴です。ですから、意外かも知れませんが、不動の決定盤本命はアニマルズですが、対抗はちあきなおみ盤となります。それにボブ・ディラン盤と浅川マキ盤を手元に置いときましょう。

 

ちあきなおみ

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この歌は明確な傑作があるので、外し技アレンジにも心の余裕を持って対処出来ます。皆さんも色んなアーティストのカバーを聴いてみて下さい。

それでは、また。

 

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「Evergreen」

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「あやかし」

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クラシック音楽の闇

ムー大陸です

 

前回、クラシック音楽界の序列の話をしました。その時に、クラシック音楽は古典の再生を行うばかりで、新曲が生まれない。それが闇であると話をしました。今日は更にそこを掘り下げたいと思います。

 

私がクラシック音楽を聴く時に一番気になるのはオリジナルの姿が見えないことです。作曲家は既に死んでいる。作曲家存命中には録音技術が無く、残されているのは楽譜だけ。コンクールなどでは、楽譜通りに弾くことが作曲家に対する敬意や楽曲への理解を示すので、必須であると聞きます。

ただ、どうでしょう。音楽を楽譜に書き切れるものでしょうか?音楽と楽譜の間に埋めるべき行間は無いのでしょうか?逆にその行間を埋めることが演奏家の行なっていることではないのですか?もし楽譜通りに演奏すれば、作曲家の求めた姿になるのなら、誰が演奏しても同じにならなければいけません。でも、そこには演奏者の個性が出るし、おそらくそれこそが演奏家の存在意義と彼らは自負するところでしょう。でも、それらの個性が本当に作曲家の求めたものと一致しているのか確認しようがないということです。それが冒頭に言ったオリジナルの姿が見えないの意味です。

クラシック音楽は、ただでさえ他に類を見ないほど緻密かつ複雑に練り上げられたものです。

当然演奏家たちは音楽と楽譜の行間を埋めるために、小さい頃から研鑽を積み、日々研究を重ね、ようやく辿り着いた楽曲の姿を披露していることでしょう。でも、敢えて言いますと、その程度のことで、辿り着けるのでしょうか?例えば、モーツァルトの音楽と楽譜の行間を埋められるのでしょうか?あの神童が頭の中で創り上げた世界を、例えば、マエストロと称される指揮者程度が余す所無く表現出来るとは到底思えないのです。

そもそも他人の頭の中を推し量る事は出来ないという根本的な問題は棚上げにしたとしても、現代のクラシック音楽家、指揮者も演奏家も欠けているものがあると思うのです。それが作曲です。

あのモーツァルトの曲を演奏するなら、せめてこの人ならモーツァルトを理解出来る、つまり、信用出来ると思わせる何かが必要です。それは素晴らしい演奏の積み重ねだとクラシックの音楽家たちは思っているようですが、そうではないのです。長年音楽的修行を積んで来たクラシック演奏家たちは卓越した技術を持っており、演奏は素晴らしいものばかりです。しかし、その演奏が素晴らしいかどうか以前に、モーツァルトのそれと同じかどうかが重要なのです。モーツァルトと同じなら、もっと素晴らしいかも知れないでしょう?

では、どうするか?

作曲です。作曲するしか信用を得る方法はありません。モーツァルトがやったように、素晴らしい楽曲をいくつも書いて下さい。そして、そのメロディが世間に浸透し、名曲としてスタンダード化する。そうして初めて、「ああ、この人はモーツァルトと同じところにいる。この人ならモーツァルトを理解し、表現出来るかも知れない」とようやくなるのです。いくらグレン・グールドが見事な演奏を行い、「まるで作曲家のように演奏する」と評されたとしても、結局彼はろくに作曲が出来なかった。それでどうして作曲家のようになどと言えるのでしょう。名指揮者レナード・バーンスタインは作曲家としても名を馳せました。「ウェストサイドストーリー」は正にスタンダード化した例の一つではないでしょうか?ならば、彼の演奏なら信用出来るのではないか。どうでしょう。あの作品を聴いて、モーツァルトバーンスタインが本当に同じところにいると感じるかどうかです。感じ方は人それぞれでしょうが、正直モーツァルト相手では役不足と感じます。いや、私は「ウェストサイドストーリー」大好きですけどね。

 

これは単なる妄想ですが、モーツァルトが生きていたら、喜んでくれるような演奏も本当は数多くあるのでしょう。でも、それは確かめようがないし、「喜んでくれるはず」などと軽々しく口にしてはいけないと思うのです。

また、音楽は自由だ。作曲家の求める姿も一つじゃないはず。そういう意見もあるでしょう。もちろん、その通りです。モーツァルトが生きていたら、色んな遊び心で、変化に富んだ演奏をしたかも知れません。それこそ、楽譜通りではないでしょう。でも、それは作曲家だから許されるんです。他の人はやってはいけませんし、ましてや作曲家が死んでるのをいいことに好き勝手なんて論外です。

ですから、基本的には他人の曲は演奏しなくていいんです。作曲家が生きていて、下手な演奏したら直接批判出来る、もしくは作曲家自身の演奏が残っていて、リスナーが比較出来るのなら、まだありだと思いますが、古典ではそんな事はあり得ない。だから、もう何度も過去に演奏されている作品をまたやらなくてもいいのです。

そういうのは自分たちの練習のために行えばいい。そうして身に付けた技術は自分のオリジナル作品に注ぎ込む、これがあるべき姿ではないでしょうか。作曲家は自分で指揮、演奏してもいいし、誰か他の演奏家や指揮者に頼んでもいい。まぁ、普通にポップスの世界では行われていることですよ。

少なくとも大昔の偉大な作曲家の作品を演奏して、それを自分の音楽とは言わないで欲しい。それはどこまで行っても作曲家の音楽です。自分の音楽は自分で創りましょう!クラシック音楽家はそこへ向かって欲しい。そうすれば、闇は消えていくでしょう。

それでは、また。

 

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「死ぬまで生きてくんです」

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「Have Fun Tonight」

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一番偉いのは?

ムー大陸です

 

 

クラシックの世界には序列があると聞きます。

本で読んだ事があります。

やはり、一番偉いのは指揮者。

オーケストラをまとめるのは指揮者ですから、当然と言えば当然です。ましてや、マエストロなどと呼ばれるほどの名指揮者になれば、クラシック音楽界の頂点と言えるでしょう。

次に来るのは、意外かも知れませんが、歌手です。クラシックですから、基本オペラ歌手ですね。歌手は神に選ばれた人という意識があるようです。演奏家は努力してなれるけど、歌手はそうじゃない、特に声は持って生まれたもの、そういう事なのでしょう。分からなくはないですけど、独特ですね。声はたまたま手に入れただけ、努力して演奏を学んだ方が偉いとはならないんです。大物の歌手ともなれば、マエストロだって滅多な事は言えないんだそうです。つむじ曲げられたら大変なんです。ですから、一番偉いのは指揮者ではありますが、個々の格付次第では歌手最強という場面も多々あるかと思われます。

そして、次に来るのが演奏家です。その中でもソリストです。バイオリン協奏曲のバイオリンソロ、ピアノも同様です。オーケストラとコラボするある意味大物演奏家がこの位置です。上述の如く、彼らが獲得した卓越した演奏技術はやや天性の声に及ばないということらしいです。

そして、その下に来るのが演奏家、オーケストラの演奏家です。歌手の位置付けは多少難しいですが、常識的な線だと思います。オーケストラの団員が指揮者より偉い訳ないですから。

本に書かれていた序列はここまででした。

 

あれ?でも、これだけなのか。

本当に一番偉いのは指揮者や歌手なんでしょうか?あの人はどこに置いたらいいのでしょう。

そう、作曲家です。

やっぱり、作曲家が一番偉いよね?

だって、何も無いところからその音楽を創り上げた人ですよ。彼らがいなければ、何も始まらないんです。なのに、作曲家はどこにもいない。

多分、それがクラシック音楽の弱点、あるいは闇と言ってもいいかも知れません。

要するに作曲家がいないんです。

既に死んでしまった作曲家の作品ばかり演奏しているから、作曲家が現場の序列にいない。だって作曲家が生きていれば、自分で指揮すればいいのだから、指揮者なんか不要です。となれば、指揮者が一番なんてあり得ない。

クラシック=古典だから、作曲家は死んでいても不思議じゃない。でも、クラシックスタイルの新曲がどんどん創られて発表されるっていうのが本来のあるべきクラシック音楽界の姿であると固く信じています。他人が書いた曲を指揮して、「これが私の音楽です」って何か変な感じがする。例えば、映画音楽からでも、舞台の音楽からでも、テレビドラマの劇伴からでも、あるいはゲーム音楽からでも、交響曲が、協奏曲が、管弦楽曲が、そして歌劇が新曲として現れて、そういうものがバッハやモーツァルトと並んで演奏される、というよりプロは基本自分の曲だけをやる、ポップスの世界同様に。そうなって欲しいですね。

それには作曲家が頑張んないといけません。

やっぱり一番偉いのは作曲家ですから。

それでは、また。

 

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「I Sing」

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「鬼火」

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アニソン魂⑥〜「やつらの足音のバラード」

ムー大陸です

 

私のお気に入りのアニメソングを紹介するアニソン魂のコーナーです。

今回は、

 

「やつらの足音のバラード」

 

です。

 

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これはアニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマです。「はじめ人間ギャートルズ」は園山俊二氏の漫画で、原始人の家族を描いた作品。主人公はゴンという少年、彼にはドテチンというゴリラの友達がいる。お父さんは美味そうに酒を飲み、マンモスの肉を食べる。お母さんは赤ん坊をたくさん背負って子だくさんです。昭和の家族を原始人の姿で見せたギャグ漫画です。

 

その原作者である園山氏が作詞、作曲はムッシュかまやつひろし氏です。かまやつ氏の代表曲の一つですから、ムッシュ繋がりでこの曲に辿り着く人もいるでしょう。カントリーを感じさせるおおらかな雰囲気と美しいメロディ。アレンジもスライドギター、リコーダーかピッコロか、笛がアクセントでいい、のどかな風景を想像します。かまやつ氏には名曲いくつかありますが、私は最高傑作に推したいですね。

 

ただですね、その最高の曲が霞むほど素晴らしいのが園山氏の詞です。原作者の意気込みというか、それとも彼のセンスなのか。

 

「なんにもない なんにもない 

全くなんにもない

生まれた 生まれた なにが生まれた 

星が一つ 暗い宇宙に 生まれた

星には夜があり そして朝が訪れた

なんにもない大地に ただ風が吹いてた」

 

これが一番です。アニメで流れるのはここだけです。これでは正直何の歌だか分かりません。

分かるのは宇宙に星が生まれたことだけ。ところが、二番、

 

「やがて大地に 草が生え 樹が生え

海には アンモナイトが 生まれた

雲が流れ 時が流れた 流れた

ブロントザウルスがほろび

イグアノドンがさかえた

何にもない 大空に ただ雲が 流れた」

 

これが衝撃の展開。何と一番で生まれた星は地球でした。そして、地球誕生から一気にアンモナイト、恐竜へと飛びます。地質時代で言うところの冥王代から古生代デボン紀、遂にはジュラ紀白亜紀へと進み、地球に水が満ち生物が溢れる様が描かれる。何と言う歌詞。

三番へ、

 

「山が火を吹き 大地を氷河がおおった

マンモスのからだを 長い毛がおおった

なんにもない 草原に かすかに

やつらの足音が 聞こえた 

地平線のかなたより

マンモスのにおいと共に 

やつらがやってきた やってきた」

 

となります。

火山の噴火と氷河期による生物の絶滅。昨今では隕石の衝突説も有力ですが、そこはこの際、どちらでもいいのです。そして、新生代に至り、「やつら」がやって来るんです。「やつら」、もうお分かりですね、ヒトです。この歌のタイトルは「やつらの足音のバラード」です。つまり、はじめ人間の足音を歌うため、地球誕生からヒトの登場までを一気に歌詞にしたんです、スケールめちゃくちゃデカいです。「はじめ人間ギャートルズ」のテーマ曲としてこれほど相応しいものがあるでしょうか。他に類を見ない名曲中の名曲です。

 

この歌を歌っている歌手は ちのはじめ という方です。このクレジットは歌の内容やアニメに合わせたシャレでしょう。普段は若子内悦郎という名前で活動していた人です。例えば、有名なCMソング「日立の樹」とか、時代劇「大江戸捜査網」EDテーマ「ながれ橋」などを歌ってます。一部歌詞の乗せ方が不自然、と言うか、私と違う感じなので、馴染みにくいとこもあるんですが、全体の素晴らしさに比べれば、小さな問題です。

 

謡曲やフォークなどからはまず生まれないであろう歌詞、何でも歌に出来るアニソンの神髄とも言えるオリジナリティが感じられる一曲、そういう意味ではアニソンの中のアニソンだと思います。

それでは、また。

 

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「あやかし」

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「死ぬまで生きてくんです」

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こんな映画は勘弁して下さい

ムー大陸です

 

 

前回、劇場で映画を観ないと書きました。

その際、殆どの映画がつまらないと言いました。さすがにもう少し詳しく書いた方がいいかと思い、今回はどこがどうダメなのかを書きたいと思います。

 

勘弁して下さい映画①

人気小説の映画化

これ多いですよね。基本的に人気小説なら、小説を読んでしまいます。従って、結末が分かっています。それでは楽しめません。たまに、映画だけのオリジナルラストなんていうのがありますね。誰かの考えたストーリーで商売しておきながら、ラストだけ変えるって神経を疑います。それなら最初からオリジナル脚本で挑戦して欲しいです。

ただ、この小説の映画化からは数多くの名作が生まれているのも確かなんです。伝統的かつ主流と言えるジャンルと言うか手法です。プロデューサーの大事な仕事の一つは人気小説の映画化権をいち早く手にすることかも知れません。例えば、松本清張氏原作の「砂の器」。この映画についてはいずれ詳しく書きたいと思いますが、原作を超えた映画化と思います。あるいは洋画なら「ゴッドファーザー」。これも不朽の名作に仕上がった。原作者が脚本に参加してますね、これは。私の最も好きな映画「アマデウス」だって戯曲の映画化です。

ただ、人気小説は基本話が面白いから人気なんです。しっかり制作すれば良い作品になる可能性は高いし、商売としてもやり易いでしょう。でも、その発想自体改めて欲しいと強く感じます。何かを映画化するということを先ず止めてみてはと思います。そうです、基本的に先ずオリジナル脚本でというのが、あるべき姿だと思います。それが主流だけど、たまには人気小説の映画化もあるっていうのがベストです。

 

勘弁して下さい映画②

人気漫画の実写映画化

これも①と一緒です。その上、①より成功率低いように思えます。数えた訳じゃないです、個人的な肌感覚で。不朽の名作漫画を映画化、それも長いストーリーを切り取り、つぎはぎ。2時間に収めるため、省略、変更でよく分からない話になる。キャラ設定は出演者に合わせて年齢や性別まで変更。これで本当に原作漫画ファンは喜ぶと思うのでしょうか。小説家も漫画家も不朽の名作映画をノベライズ、コミカライズしません。あるとすれば、それは企画モノです。日常的に行われていないし、主流でもない。でも、映画界は何かを映画化することが主流です。小説や漫画はペン一本で書けるが、映画は大きな金が要る、関わる人間も多い。それは分かります。でも、アイディアは、頭の中のアイディアだけなら、条件は一緒です。クリエイターとしての姿勢の問題だと思います。映画を採算に乗せる計算として、原作ファンで何人観に来る、出演者のファンが何人観に来るとか考えるんでしょうか?⚫︎⚫︎監督の最新作だから行くって言うのが弱いのは問題ですね。例えば、三谷幸喜氏のようにオリジナル脚本を書いて、三谷幸喜最新作と宣伝出来る。多くの作品がそうあるべき姿と考えます。

 

勘弁して下さい映画③

テレビドラマの劇場版

これも結構あるんですよ。最悪の場合、原作が漫画で、それをドラマ化。人気が出て劇場版。いや、原作漫画で十分なんだけどな。テレビドラマがオリジナル脚本なら、豪華版で劇場用とかスピンオフありだと思います。

 

勘弁して下さい映画④

前編後編に分かれる

これ何ですか?完結させて頂きたい。終わんないんだったら、前編の半券で後編も観せて欲しい。あるいは5時間の作品にするとか。いずれにせよ、実質1本の映画に倍の金は払いたくないです。

 

勘弁して下さい映画⑤

アニメ

アニメ大好きです。

ただ、これも漫画原作なら、漫画で十分ですね。オリジナルアニメは大歓迎です。オリジナルというのは漫画のキャラ使ったオリジナルの話は一応ありですが、それも出来れば漫画で読みたいです。

 

つまり、小説、漫画を原作にしていない、テレビドラマの劇場版でもない、オリジナル脚本の映画。それだけで数少ないです。その中で面白い映画となると、なかなか難しいということになるのです。上述のように原作を超えた名作映画はあります。ですから、それを止める必要はないと思いますが、頼り過ぎはよくありません。

私はメディアミックスには否定的なんでしょう。オリジナルのストーリーは一度出してしまえば、それでもうネタバレなんです。他のメディアに乗せても新鮮さは無いと思います。各々の世界のクリエイターは自分たちのジャンルで、常に面白い話を考えてもらいたいです。

それでは、また。

 

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「混沌(カオス)」

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映画は劇場で観ません

ムー大陸です

 

以前、映画「BLUE GIANT」について書いた際に、私は映画は劇場で観ないと書きました。

映画「BLUE GIANT」ようやく観ました - ムー大陸の音楽探検

 

はい、今日はそれがテーマです。

 

私、結構映画観ます。大体年間100本くらい。

以前は200本以上観てたこともあったので、今は減った感じです。昨年は多分80本くらいしか観てないので、少ない年でした。

 

テーマとは関係ないですけど、好きなジャンル、必ず観るジャンルは、先ず音楽モノですね。ミュージカルよりはミュージシャンの伝記モノが好きです。続いて歴史モノ。時代劇ではなく史実モノです。つまり、伝記にしても歴史モノにしても、私は事実に基づいた話が好きってことです。これはリアリティを気にしなくていいからです。実際にあったことであれば、どんなに荒唐無稽でも、問題なく受け入れられます。その点単なるフィクションは難しい。「さすがにそれはリアリティに欠ける」とすぐに考えてしまう方なんです。

 

テーマに話を戻しましょう。

かつては私も劇場によく観に行ってました。1日に3本はしごなんてこともやってました。そうすることが日本の映画界を支えるものと信じてましたし。特に日本映画の衰退に歯止めをかけるべく邦画の話題作には色々都合をつけて観に行くようにしてました。

でも、やめました。

 

理由はシンプルです。つまんないんですよ、殆どの映画が。例えば、ある作品をみようと思うと、少し情報収集したりします。監督や出演俳優のインタビューなど。当たり前ですけど、面白いから劇場へと口々に言います。その上、撮影時のエピソードや苦労話など面白おかしく話している。活気ある現場が感じられて、「面白そうだ」と期待も高まります。

 

ところが、何一つ面白くないんです。

現場がどんなに大変だったかなんて本当はどうでもいい話です。映画自体が面白ければ、それも貴重なエピソードに思えるけど、つまらないと無性に腹が立ちます。

そもそも彼ら制作者たちも映画が好きで作っているはず。映画ファンとしてはかなりのマニアの部類でしょう。そんな彼らなら自分の作品を過去の名作と比べてどんなもんかなんて分かると思うんですよ。この作品を面白いから観に来てくれと本気で言ってるのか、それとも仕事としてやむなく言ってるのか、本音を聞いてみたいとさえ感じました。

 

そんな訳で劇場に行かなくなりました。

その後は常にレンタル。それも旧作になってから観てました。1本につき単価は2,000円から100円になりました。それでもその価値すら無い作品が大半です。100円はいいにしても、私の2時間返せってとこです。今は配信で観るのが殆どです。

 

ただ、極々個人的な意見ですが、劇場で観た方が面白い映画なんてありません。音響や派手なアクション、これは大スクリーンの迫力が欠かせないという意見をよく耳にします。音響やアクションで映画は面白くならないでしょう。映画は脚本だと思ってます。結局ストーリーが面白くないとダメなんです。劇場に行かないことにマイナスは感じません。

 

一方、家で観るのは快適じゃないですか。だって、飲食は自由だし、時間は好きな時に観れる、隣に変な奴が座る心配も無いし、なんなら、途中で止めてトイレにも行ける。

 

と、まぁ、そんな事を考えると、劇場に行く必要性を感じなくなり、ここ10年で劇場へ行ったのは1回だけ。宮崎駿氏の「風立ちぬ」ですね、最後に劇場で観たのは。それは理由がありました。券を貰ったんですよ。無料だったので、行きました。それでも、家で観たかった、快適だし。

 

つまり、初めはつまらない映画をわざわざ観に行って、高い金出すのは馬鹿らしいとの思いから劇場へ行かなくなりました。しかし、そうしている内に家で映画を観る方が快適で、それが当たり前になりました。面白い映画でも劇場ではなく、家で観たいと今では思います。私は二度と映画館に行かないでしょう。

映画界はこれからも劇場用映画を量産するのでしょうか?配信専門の映画が増えてきてますよね。いずれ逆転して欲しいなんて思ってます、それどころか、配信が圧倒的に主流となる日を待ち望んでいます、勝手に。

それでは、また。

 

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「楽しんだモン勝ち!」

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洋楽至上主義⑨〜「Lonely Boy」

ムー大陸です

 

私のオススメの洋楽を取り上げる洋楽至上主義のコーナーです。今回は、

 

「Lonely Boy」

 

です。

 

よくあるタイトルです。誰の「Lonely Boy」なの?って声があってもおかしくないです。はい、1976年のヒット曲、アンドリュー・ゴールドの「Lonely Boy」です。ポール・アンカのヒット曲ではありません。

 

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アンドリュー・ゴールドはウェストコーストのスタジオミュージシャン、それもマルチプレイヤーで、作曲家、プロデューサーです。数多くのセッションに参加しており、ミュージシャンズミュージシャンのような存在。日本では矢沢永吉氏とも一緒にやってます。中でもリンダ・ロンシュタットとは縁が深く、彼女のヒット曲「You'er No Good」ではギターを弾いています。素晴らしいソロです。

 

そんな縁もあって、この「Lonely Boy」では彼女のコーラスが聴けます。2番のAメロですかね、そこしかハモリないですから、分かりやすいはずです。とは言え、別にそこがストロングポイントって訳じゃないんです。この曲ポップでキャッチー、典型的な70‘sポップです。素直なメロディ展開は安心して聴いてられますね、多少素直過ぎるかな、最後の「Lonely Boy🎵」で上がっちゃうとこなんてベタですよね。でも、そこがいい。

 

ところが、その素直なメロディに微妙に不自然なアレンジが付くんですよね。裏打が掴みにくい。さすが名うてのスタジオミュージシャン、テクニカルです。イントロから歌に入った瞬間に「アレ?逆?」みたいな感覚になります。

 

この明るい曲にはちょっと暗い歌詞が付いてます。まぁ、「Lonely Boy」ですから、寂しい少年の歌、暗くて当然なんですけど。

何で寂しいのか?

この歌の主人公は子供の頃、両親に大変可愛がられます。両親は「お前は大事な一人息子だから、自分たちが学んだ事を全て学ばせよう」と考えます。暖かい格好をさせて、学校に通わせ、誰にも馬鹿にされない人間にしようと言うのです。それ自体悪くありません。

 

ところが、妹が生まれて、その愛情が妹に向くと、両親は妹にも同じように接します。何しろ一人娘です。すると、この歌の主人公は「あれ?話が違う」。自分は大事な一人息子のはずなのにと感じる。これが寂しい少年の正体です。言っておきますが、妹が生まれて、お兄ちゃんの世話をネグレクトしたという事ではありません。「あなたはお兄ちゃんでしょ」くらいの話でしょう。でも、その幼児体験の影響は大きく、彼は16歳で家を出ようとするんです。実に不思議な内容です。これは精神を病んだティーンエイジャーの話と解釈すべきなんでしょう。

 

ただ、この主人公1951年生まれなんです。歌の冒頭で言ってます。実はアンドリュー・ゴールド自身が1951年生まれ。なので、一部ではこれは自伝的な歌とも言われています。でもですよ、アンドリュー・ゴールドの父親っていうのは、「栄光への脱出」でオスカー受賞の作曲家アーネスト・ゴールド、母親はマーニ・ニクソン、有名ミュージカル映画の吹替えシンガーです。つまり、両親は音楽エリート、両親が自分たちが学んだ事を全て学ばせようとしたのは歌詞の通りだったように思えます。だからこそ、アンドリュー・ゴールドはミュージシャンになったと言える。だとすると、歌の主人公のように彼は別に両親とは決別したわけではなさそうです。

 

1951年生まれと自分と同じにしたのはその方が無難だからではないかと推察します。誰か他者を精神病として描くより、自分のようにしてしまう方が何かと批判も回避し易いでしょうし、勝手に想像を膨らませてくれる人もいるだろうという訳で、このストーリーはフィクションと考えます。でも、ちょっと面白いですね。

 

この曲はアンドリュー・ゴールドの唯一の全米TOP10シングルです。最高位7位でした。でも、全米TOP40ファンなどからは今でも愛される一曲です。かつて、私が自分が住んでる街のローカルなレンタルビデオショップでDVDを探していると、この曲がかかりました。レジにはバイトの兄ちゃんが2名。片方の兄ちゃんがこれをかけたらしい。そして、もう一人に「な、いい曲だろ?」と勧めていた。私は心の中で「同志!」と叫んだのは言うまでもありません。

それでは、また。

 

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面白い曲がきっと見つかります。

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リミックス格差が生まれてる

ムー大陸です

 

 

前回、ビートルズの新赤盤青盤のリミックスの話をしました。確かに新しいリミックスは素晴らしいのですが、何やらビートルズばかりが繰り返しリマスター、リミックスされているように思うのです。

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例えば、ビートルズデビューは1963年、昨年はデビュー60周年です。だからこそ最後の新曲「Now And Then」のような企画もあったのでしょうか。しかし、2024年になると、そうですね、映画「A Hard Day's Night」公開から60周年などと言って、同アルバムをリミックスする事も考えられます。2025年になれば、映画「Help」でも同じことが可能ですし、解散から55年とかアルバム「Let It Be」から55年とか、何でも商売に結びつけることが出来るんです。ビートルズは8年間活動してますから、何十周年と何十五周年を繰り返せば、毎年お祭りが出来ると言った訳です。

 

実際にずっとそんな事が行われて来ました。必ずしもそのお祭りがリマスターやリミックスを呼び込むとは限りません。でも、思いつくだけでも、アンソロジープロジェクト、ベスト盤「The Beatles 1」、あるいは「Let It Be Naked」もあった。USボックスもあった。ライブ盤「Eight Days A Week」、ドキュメンタリー「Get Back」、よくもまあ、見つけてくると感心しますよ。それとは別にアルバムのスペシャルバージョンみたいなボックスセットが出ます。商魂逞しいですね。

 

私もビートルズファンですから、とても嬉しいし、出来るだけ入手してます。USボックスとか結構プレミア付いてるらしいですね、まぁ、売らないけど。

で、毎回ではなくても、結構な頻度でリマスターやリミックスが行われるわけです。それはそうです、上記のようにこれだけ機会があるのですから。そうすると、ビートルズの曲はリミックスが何度もされて、2023年ミックスと2009年リマスターを比較するなんて状況になってます。リミックス同士を比較して、どれが好みかという段階に入ってます。

 

ところが、どうでしょうか?他のアーティストは。有名どころでも、それほど頻繁にリマスターされてないのではないか?ましてや、最新技術を駆使したリミックスなんて皆無に等しい。例えば、レッド・ツェッペリンの最新リマスターはいつでしょう。ボックスのベスト盤「Remasters」は1990年、「Complete Studio Recordings」1993年です。その後、オリジナルアルバムは2014年から2015年に最新リマスターとなったはずです。つまり、ベスト盤はさておき、オリジナルアルバムのリマスターが2回、それ以外のリミックスは特にありません。最新リマスターだって8年前です。

 

ビートルズのリミックスで使われた技術でも分かるように、そういうのって日進月歩ですから、8年前のリマスターは最早「最新」と呼ぶに相応しくないでしょう。

レッド・ツェッペリンでさえそういう感じです。まぁ、クイーンとかイーグルスとか、ストーンズピンク・フロイドデヴィッド・ボウイあたりはツェッペリンと同程度には扱われるとは思います。でも、もう少しマニアックだったり、ヒット曲少なかったら、見向きもされない。

 

もちろん、売れないバンドをリマスターしても仕方ないですから、やむを得ないのは分かりますけど。そこは文化的意義を汲み取って、積極的にリマスターして欲しいです。

勝手な想像ですけど、毎年秋になると、大々的にリマスター、リミックスが行われ、クリスマス商戦には店頭に並ぶ。「今年はどんなアーティストがリミックスされるんだろう」と楽しみにする、みたいに季節の風物詩的に行われたらいいのにな。

 

それこそ、伝説的なシンガー、ウディ・ガスリーとか、ロバート・ジョンソンとかだって、最新技術を使えば、相当綺麗な音になると思います。まぁ、誰が買うんだという声はあると思います。いや、少なくとも私は買いますよ!ロック名盤はもちろん、ジャズの名演、クラシックの最新リミックス面白そう。現地録音の民族音楽のリマスター、今まで聴こえなかった音とか声とか聴こえそう。想像するだけで楽しい。是非そこは商売だけではなく、未来のために音楽遺産を保存する意味からもお願いしたいです。

それでは、また。

 

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