ムー大陸です
先日、ジャズピアニスト、ブラッド・メルドーのアルバムを聴きました。これがビートルズのカバーアルバムなんです。
「Your Mother Should Know:Brad Mehldau Plays The Beatles」というタイトルです。
ブラッド・メルドーはいまやベテランです。そのテクニックも円熟期に入りました。彼は若い頃からロック・ポップスをレパートリーに取り込んでました。なので、ビートルズのカバーアルバムを出しても何の不思議もありません。そして、実際彼は上手い。名曲の数々を自分なりに咀嚼し、再構築し、見事に自分の音楽に、そしてジャズに仕上げています。また、そこには深いビートルズへのリスペクトも感じられます。
とまぁ、このアルバムを聴いた人はそんな風に言うのかも知れません。私もそう思いました。でも、正直言って、何が面白いのか全く理解出来ませんでした。いや、と言うより、どういうつもりでブラッド・メルドーは制作したのか掴めません。そもそもビートルズの曲をピアノの弾き語りでカバー、それもジャズとしてアレンジする、その事自体に意義を見出せないのです。もちろん、ブラッド・メルドーの熱狂的なファンなら、彼がどうビートルズを料理するか楽しみなのでしょうが、そこはあまり興味が湧きません。
ビートルズのカバーを許さないという意味ではありません。オリジナルを超えるカバーに出会った事はありませんが、秀逸なカバーも多くあります。また、本来歌が付いている曲をインストでカバーする、これも出来によっては許容出来ます。ポール・モーリアの「恋はみずいろ」なんかその典型です。
ただ、ビートルズの楽曲に限っては認めたくありません。ブラッド・メルドーは咀嚼して再構築したと上述しましたが、自分なりに解釈する段階で、歌詞を全て捨てるんですよ。何をどう解釈したら、そんな事が出来るのか?例えば、「I Am The Walrus」を彼はこのアルバムで演奏していますが、もちろん歌は無い。あの歌詞を全部捨てる、これは私的には到底有り得ない事です。ボブ・ディランならどうですか?ボブ・ディランをピアノ弾き語りでカバーしたとしたら、ノーベル文学賞まで取った歌詞は無視という事です。それと同レベルに違和感がありますね。
何故、そんな解釈になるのか?
簡単ですね、彼がピアニストだからです。もっと言うと、歌えないからです。解釈する以前に、歌わない前提でスタートしてるでしょ、そんな馬鹿なと感じます。
ジャズピアニストがビートルズをカバーしたければ、方法は二つです、自分で歌いながらピアノを弾くか、歌手とコラボする。ピアノの演奏で聴くビートルズはどんなに上手くても味気ないし、そもそも意義を感じません。
ビートルズのカバーは数知れずあります。恐らく史上最もカバーされたアーティストでしょう。インストのカバーもたくさんありますし、随分と聴きました。例えば、同じインストで言うと、ギタリストのアル・ディメオラのカバー。
「Strawberry Fields Forever」アル・ディメオラ
これも同じく上手いけど意義が見出せませんでした。
バロック風に弾いてみるなんてアルバムも聴いた。企画としてはありだけど、コンサートの余興程度。フルアルバム聴くのは辛かった。ア・カペラでカバーっていうのもあった。これは歌があります、もちろん。面白い試みですが、何曲もやる必要が感じられない。
「The Beatles On Baroque」
「Come Together An A Cappella To The Beatles」
私の個人的な傾向ですが、ビートルズのカバーでいいと思えるのは卓越したヴォーカリストによるものが多いです。特にソウル系の黒人シンガーのカバーです。歌唱力がビートルズに引けを取らない、フェイクなどの部分ではむしろ勝る、そういう歌手のカバーです。それでもアレンジは比べるべくも無いほど凡庸なものが多いですが。
オススメはオーティス・レディング、スティーヴィー・ワンダーあたりでしょうか。
「Day Tripper」オーティス・レディング
「We Can Work It Out」スティーヴィー・ワンダー
とにかく、歌は無いといけません。
それでは、また。
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「楽しんだモン勝ち!」