ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

クラシック音楽の闇

ムー大陸です

 

前回、クラシック音楽界の序列の話をしました。その時に、クラシック音楽は古典の再生を行うばかりで、新曲が生まれない。それが闇であると話をしました。今日は更にそこを掘り下げたいと思います。

 

私がクラシック音楽を聴く時に一番気になるのはオリジナルの姿が見えないことです。作曲家は既に死んでいる。作曲家存命中には録音技術が無く、残されているのは楽譜だけ。コンクールなどでは、楽譜通りに弾くことが作曲家に対する敬意や楽曲への理解を示すので、必須であると聞きます。

ただ、どうでしょう。音楽を楽譜に書き切れるものでしょうか?音楽と楽譜の間に埋めるべき行間は無いのでしょうか?逆にその行間を埋めることが演奏家の行なっていることではないのですか?もし楽譜通りに演奏すれば、作曲家の求めた姿になるのなら、誰が演奏しても同じにならなければいけません。でも、そこには演奏者の個性が出るし、おそらくそれこそが演奏家の存在意義と彼らは自負するところでしょう。でも、それらの個性が本当に作曲家の求めたものと一致しているのか確認しようがないということです。それが冒頭に言ったオリジナルの姿が見えないの意味です。

クラシック音楽は、ただでさえ他に類を見ないほど緻密かつ複雑に練り上げられたものです。

当然演奏家たちは音楽と楽譜の行間を埋めるために、小さい頃から研鑽を積み、日々研究を重ね、ようやく辿り着いた楽曲の姿を披露していることでしょう。でも、敢えて言いますと、その程度のことで、辿り着けるのでしょうか?例えば、モーツァルトの音楽と楽譜の行間を埋められるのでしょうか?あの神童が頭の中で創り上げた世界を、例えば、マエストロと称される指揮者程度が余す所無く表現出来るとは到底思えないのです。

そもそも他人の頭の中を推し量る事は出来ないという根本的な問題は棚上げにしたとしても、現代のクラシック音楽家、指揮者も演奏家も欠けているものがあると思うのです。それが作曲です。

あのモーツァルトの曲を演奏するなら、せめてこの人ならモーツァルトを理解出来る、つまり、信用出来ると思わせる何かが必要です。それは素晴らしい演奏の積み重ねだとクラシックの音楽家たちは思っているようですが、そうではないのです。長年音楽的修行を積んで来たクラシック演奏家たちは卓越した技術を持っており、演奏は素晴らしいものばかりです。しかし、その演奏が素晴らしいかどうか以前に、モーツァルトのそれと同じかどうかが重要なのです。モーツァルトと同じなら、もっと素晴らしいかも知れないでしょう?

では、どうするか?

作曲です。作曲するしか信用を得る方法はありません。モーツァルトがやったように、素晴らしい楽曲をいくつも書いて下さい。そして、そのメロディが世間に浸透し、名曲としてスタンダード化する。そうして初めて、「ああ、この人はモーツァルトと同じところにいる。この人ならモーツァルトを理解し、表現出来るかも知れない」とようやくなるのです。いくらグレン・グールドが見事な演奏を行い、「まるで作曲家のように演奏する」と評されたとしても、結局彼はろくに作曲が出来なかった。それでどうして作曲家のようになどと言えるのでしょう。名指揮者レナード・バーンスタインは作曲家としても名を馳せました。「ウェストサイドストーリー」は正にスタンダード化した例の一つではないでしょうか?ならば、彼の演奏なら信用出来るのではないか。どうでしょう。あの作品を聴いて、モーツァルトバーンスタインが本当に同じところにいると感じるかどうかです。感じ方は人それぞれでしょうが、正直モーツァルト相手では役不足と感じます。いや、私は「ウェストサイドストーリー」大好きですけどね。

 

これは単なる妄想ですが、モーツァルトが生きていたら、喜んでくれるような演奏も本当は数多くあるのでしょう。でも、それは確かめようがないし、「喜んでくれるはず」などと軽々しく口にしてはいけないと思うのです。

また、音楽は自由だ。作曲家の求める姿も一つじゃないはず。そういう意見もあるでしょう。もちろん、その通りです。モーツァルトが生きていたら、色んな遊び心で、変化に富んだ演奏をしたかも知れません。それこそ、楽譜通りではないでしょう。でも、それは作曲家だから許されるんです。他の人はやってはいけませんし、ましてや作曲家が死んでるのをいいことに好き勝手なんて論外です。

ですから、基本的には他人の曲は演奏しなくていいんです。作曲家が生きていて、下手な演奏したら直接批判出来る、もしくは作曲家自身の演奏が残っていて、リスナーが比較出来るのなら、まだありだと思いますが、古典ではそんな事はあり得ない。だから、もう何度も過去に演奏されている作品をまたやらなくてもいいのです。

そういうのは自分たちの練習のために行えばいい。そうして身に付けた技術は自分のオリジナル作品に注ぎ込む、これがあるべき姿ではないでしょうか。作曲家は自分で指揮、演奏してもいいし、誰か他の演奏家や指揮者に頼んでもいい。まぁ、普通にポップスの世界では行われていることですよ。

少なくとも大昔の偉大な作曲家の作品を演奏して、それを自分の音楽とは言わないで欲しい。それはどこまで行っても作曲家の音楽です。自分の音楽は自分で創りましょう!クラシック音楽家はそこへ向かって欲しい。そうすれば、闇は消えていくでしょう。

それでは、また。

 

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