ムー大陸です
音楽を聴くことは楽しいが、実は音楽をやることも非常に楽しい。
作曲、作詞、制作、演奏、歌唱などなど、それらは大変な喜びです。誰かの歌を聴いているだけでなく、自分でもやってみる。自分の言いたいことをメロディに乗せ、歌ってみる。
これは特別の才能がある人がやること、子供の頃からピアノとか習ってきた人とかがやること、などと思う人もいるかも知れません。いや、そんな事はありません。今の時代、テクノロジーの力を借りれば、そんな難しくなく誰でも曲だって書けると思います。歌が歌えなければ、ボーカロイドを使う手もあります。いずれにしても、自分でやってみるというのは音楽の大事な部分だと思います。
それを体現した音楽がパンクです。
あんな髪の毛を変な色に染めて、ツンツンにおっ立てて、舌にまでピアスとかしているのが?と思うかも知れません。でも、そうなんです。パンクの精神はDIY(Do It Yourself)です。
諸説ありますが、パンクの誕生は1970年代中頃です。場所はニューヨーク。ニューヨークパンク黎明期のアーティストはパティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズあたりでしょうか。
彼らは今でこそ伝説のアーティストですが、必ずしも商業的な成功に恵まれませんでした。何しろアメリカは広い。単純に国土も広大、ミュージシャンの層も厚く、インディーズの活動がそう簡単に大きなムーブメントに繋がることは実現しにくい。
しかし、ロンドンは違いました。
マルコム・マクラーレンはパンクをロンドンに持ち込みました。セックス・ピストルズの誕生です。
「Anarchy In The UK」セックス・ピストルズ
センセーショナル宣伝、過激な歌詞の影響でロンドンパンクは大きなうねりを起こします。やはり、国土がアメリカに比べ小さい。こういう動きに対する反応がよりヴィヴィッドです。ピストルズに加え、クラッシュ、ダムド、ジャムらが登場します。70年代のパンクと言ったら、通常はこのロンドンパンクを指します。
「I Fought The Law」クラッシュ
「New Rose」ダムド
「In The City」ジャム
では、そもそも何故この時期にパンクが生まれたのか?それは簡単です。既成のロックがつまらなくなったからです。もちろん、70年代にも多くの素晴らしいバンドがいて、素晴らしい音楽を作っていました。でも、音楽市場はかつて無いほどの膨張期を迎えていました。
音楽的にはディスコブームに湧き、ビー・ジーズ全盛期がやって来ます。1000万枚近く売上げるアルバムがいくつも現れ、コンサートはスタジアムを満員にし、アーティストはそれにより莫大な富を築き上げます。
しかし、ストリートの若者たちがそんなアーティストに距離を感じても何も不思議はありません。本来、ロックはストリートの若者のための音楽だったはずなのに。ロッカーは本当に自分たちの代弁者なのか?かつては熱狂出来たロックにのめり込めない、そんな風に若者たちが感じ始めたのが70年代の中盤以降なんです。
既成のロッカーたちを代弁者とは認めない若者たちが取った手段は一つです。自分で発信する。自分でギターを手に取って舞台に上がったのです。正にDIYです。
しかし、昨日までストリートをぶらぶらしていた若者が見事な演奏なんて出来るわけがありません。それでもいいんです。コードなんか2つ3つしか知らなくても、それだけで演奏する。大事なのは始めること、舞台に立つことです。そんな彼らはパンクと呼ばれました。全くファンクでないという意味でそう呼ばれたとも言いますが、定かではありません。全くファンクではないのは事実ですが。
確かに音楽的には決して高度ではなく、聴くに耐えない下手くそなバンドもいます。しかし、彼らはそれを様々なアイディアでカバーし、新鮮な音楽を創ろうとしました。レゲエやスカ、アフリカンビートを取り入れたのもその一つでしょう。奇抜なファッション、過激な歌詞なんかもその一環と考えていいでしょう。
そして、彼らは下手くそなだけに、彼らを聴いた若者たちは、俺たちだって出来ると感じ益々パンクが活気付くという連鎖になっていきました。
80年代に入り、パンクはムーブメントとしても音楽的にも一旦は終了したと思います。その終わりについてはまた別の機会に書きたいと思いますが、少なくとも、聴いて自分でもやってみたいと思わせる音楽はパンクが一番です。ラップも同じ匂いがありますが、ラップって結構難しくて、私にはハードル高かった。
あなたもパンクを聴いて、舞台へ立ってみては?
それでは、また。
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新曲公開中です!是非聴いて下さい♪
「下剋上」
「春に死のう」