ムー大陸です
過去の名曲をチャートアクションから振り返る名曲たちの成績表のコーナーです。
今回は、
「I'm Still Standing 」
です。
多くの人がご存知でしょう。エルトン・ジョンの1982年のシングルヒットです。
エルトン・ジョンは70年代最も売れたミュージシャンです。アメリカのビルボードにおけるナンバー1ヒットは8曲、その内6曲を70年代に放っています。80年代以降のナンバー1ヒット2曲も70年代の作品のリバイバルヒットです。それほど70年代のエルトン・ジョンは凄かった。
また、彼は多作なので1年にアルバムを2枚出したりしていました。昨今のアーティストでは考えられません。73年から76年まで毎年ナンバー1ヒットを出し、特に75年が絶頂期で、1年間に3曲のナンバー1ヒットを出しました。その間に最高位2位と言うヒットも3曲あり、かなり支配的な活躍を見せていました。
ですから、その頃の楽曲には名曲も多い。個人的には「Goobye Yellow Brick Road (黄昏のレンガ道)」、「Don't Let The Sun Go Down On Me(僕の心に小さな太陽)」、「Philadelphia Freedom」あたりが好みです。本来であればそこら辺をピックアップすべきなのでしょうが、今回は敢えて82年の「I`m Still Standing」にしました。
エルトン・ジョンはそれほど成功を収めたミュージシャンでありながら、例えば、ローリングストーン誌が選ぶ偉大なアーティストランキングでは49位と意外なほどに甘く見られる傾向にあります。
恐らくそれは彼がポップだから。ソロのポール・マッカートニーなどとも通じると思いますが、メインストリームで売れているだけで、ロックじゃないという不明なレッテルを貼られてしまいがち。本当に彼は例えば42位のヴァン・モリソンより下なんでしょうか?ヴァン・モリソンも大好きですけど、70年代を席巻したエルトンとは全く格が違うように思えて仕方がありません。
彼が売上の割に質が伴わないアーティストだと言うなら納得も行きますが、歌も上手く、楽曲のレベルも高いのにそのように侮られるのは腹立たしい限りです。その理由はいくつかあるでしょう。上述のように彼がメインストリームで爆発的に売れたこと自体がマイナス要素。
Wikiなどではビリー・ジョエルと並んで彼をピアノ・ロックの確立者であると書かれていましたが、ピアノ・ロックなどというものは端からリトル・リチャードの昔から存在していました、ギター・ロックと改めて言わないのと同じです。ですから、エルトン・ジョンは何かのムーブメントの創始者ではなく、普遍的なポップスの作り手です。そこも弱いところです。
加えて、コンビを組んだ作詞家バーニー・トーピンの感傷的で大げさな比喩を多用する歌詞にも軟派なイメージがあるかも知れません。ただ、エルトン・ジョンのポップな曲との相性は抜群ですし、そういうハッタリがかったところが好きですけど、私は。
結局のところ、エルトン・ジョンにはロックが足りないのです。それが評論家筋にはイマイチ尊敬されない一因だと感じています。
彼の楽曲はどれもフックがあり、激しい曲でさえ耳障りが良く、今聴いてもヒットした理由が分かります。でも、彼自身が作詞をしないからかも知れませんが、彼の歌から強い主張を感じることはありません。ドラマを見ているような感じ、エルトン自身の思いではなく、エルトンはあくまで何らかの風景、誰かの心情を歌っている、そんな風に常に感じます。
そんなエルトン・ジョンから初めて、そして、ただ1度だけ彼の強い思いを感じた歌がありました。
それが今日のテーマ「I`m Still Standing」です。
1976年彼は活動を停止します。上述のように彼は多作でしたが、それは休みなく働き過ぎたことを意味していました。彼は引退宣言を行い、結果的には2年間の休みを取ります。って言うか、アルバムとアルバムの間の2年て普通の充電期間ですけど。引退宣言するほどの長さじゃないよね。
一方、環境も変わってきていました。ディスコブームです。明らかに主役の座はエルトン・ジョンからビー・ジーズに移っていきました。彼の楽曲には確かにロックが不足しているけど、ディスコは全くありませんから。
彼が戻って来た1978年は正にディスコブームの真っ只中。彼の音楽は時代にそぐわないものになっていました。シングルもアルバムも1位になるのが当たり前だった75年頃とは様変わりし、80年代に入ると、どちらもTOP10に入るのが難しくなっていました。
82年アルバム「Jump Up!」を発表。同アルバムからは、ジョン・レノンへの追悼曲「Empty Garden」や「Blue Eyes」など佳曲をシングルとして出しますが、TOP10を外すようになります。いや、「Empty Garden」は本当に泣けますね。アルバムタイトルにもエルトンの思いが込められているように思えます。
「Empty Garden」
続いて83年、彼はアルバム「Too Low For Zero」を発表します。ここでアルバム全曲を盟友バーニー・トーピンの作詞に戻します。原点回帰です。それだけでも彼の復活への思いが伝わります。そして、アルバムからのファーストシングルが「I'm Still Standing」です。「僕は今でも立っている。前よりしっかりした足取りで」。こんな思いを明確に表したエルトンは初めてです。映画「ロケットマン」では、バーニー・トーピンがエルトンに「これに曲をつけてくれ」と言って「I'm Still Standing」の歌詞を渡すんでしたね、ラストは。
あれが本当か分かりませんが、あのコンビの強い思いが込められた一曲です。そして、結果、最高位12位でした。これだけ見れば、前作と変わらず、いや、むしろ、次のシングル「Kss The Bride」が最高位25位に終わっており、事態は悪化しているのかとさえ思われました。ところが、サードシングル「I Guess That's What They Call It The Blues(ブルースはお好き?)」が3位に食い込むヒットとなり、復活の足掛かりとなります。アルバムは最高位25位でしたが、振り返って見れば、80年代を代表する一枚となっています。
「I Guess That's What They Call It The Blues(ブルースはお好き?)」
この後、86年にはディオンヌ・ワーウィックのユニットに参加、「That's what Friends Are For 」が年間1位に、92年にはジョージ・マイケルとのデュエットで「Don't Let The Sun Go Down On Me(僕の心に小さな太陽)」がリバイバルで1位に、そして、97年にはダイアナ妃追悼曲として、「Candle In The Wind」が歌詞改変で14週間1位、年間1位になりました。最近では、2022年にデュア・リパとのコラボで「Cold Heart」、同年ブリトニー・スピアーズとのコラボで「Hold Me Closer」がTOP10入りするなど、今尚現役で活躍中です。
彼の輝かしい音楽人生は殆どが栄光に包まれたものですが、最も落ち込んだ時期が80年代初頭でした。今回はわざわざその時期の曲だけを貼りました。他の人から見れば、それでも売れていると思われるでしょうが、上って落ちた彼にとっては苦しい時期だったでしょう。映画「ロケットマン」ではセラピーを受けている姿さえありました。その彼の心の声が「I'm Still Standing 」です。陽気でおちゃらけムードの彼の本音は中々聞けないんです。心して聴きましょう。
それでは、また。
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