ムー大陸です
先日、「トノバン」という映画を観ました。
トノバンとは音楽家・加藤和彦氏の愛称で、彼の音楽や人物像を追いかけたドキュメンタリー映画が正式名称「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」です。
加藤和彦氏については今更説明は不要だとは思いますが、一応、サラッと。
大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)を結成。メンバーには北山修氏、はしだのりひこ氏などがいました。1967年に自主制作アルバム「ハレンチ」を発表。アルバムの中の曲「帰って来たヨッパライ」が奇抜なアイディアとサウンドから話題となり、日本初のミリオンヒット(オリコン調査開始後初)となります。フォークルは他にも「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」などの名作を残しつつ1968年に解散。
「イムジン河」
その後、加藤氏はソロ活動を開始、1971年に北山氏とのデュエットで「あの素晴らしい愛をもう一度」をヒットさせます。
同じ年、イギリスでグラムロックの高まりを知るや、サディスティック・ミカ・バンドを結成。当時加藤氏の妻だった加藤ミカ氏がヴォーカルでした。ギターの高中正義氏、ベースの小原礼氏、ドラムの高橋幸宏氏、キーボードの今井裕氏がいた頃が最盛期でしょうか。1974年に代表作アルバム「黒船」を発表し、ロキシー・ミュージックのオープニングアクトとしてイギリスツアーを敢行、ロックの本場で高い評価を受けます。
「タイムマシンにお願い」
1975年にバンドは解散。その後は一貫してソロ活動を中心に音楽活動を続けます。ヨーロッパ三部作と呼ばれる意欲的なアルバムを制作する一方、「不思議なピーチパイ」「愛 おぼえていますか」などのヒットに代表される他者への楽曲提供、プロデュースなど幅広く活躍。また、音楽理論も学び、映画音楽やスーパー歌舞伎の舞台音楽まで手掛けました。その間、桐島かれん氏、木村カエラ氏をヴォーカルに迎えサディスティック・ミカ・バンドを2度再結成、アルフィーの坂崎幸之助氏を迎えフォークルを新結成もしています。坂崎氏とはその後、和幸というユニットを結成しています。晩年は鬱病を患い、2009年に亡くなりました。自殺と言われています。
そんな彼のエピソードを音楽作品とともに関係者が語る、そういうシンプルなドキュメンタリーです。監督は相原裕美氏。ミュージシャンの写真で有名な写真家・鋤田正義氏を追った「SUKITA 刻まれたアーティストの一瞬」の監督さんですね。音楽モノに強い印象です。あの映画も面白かった。
フォークルやサディスティック・ミカ・バンドのメンバーを含め共演者、スタッフ等直接の関係者にインタビューをしているので、生々しい話が聞けます。既に亡くなっていたり、出演していない関係者についても過去のインタビューなどから丁寧に発言を拾っています。中身は非常に濃いです。
そんな関係者の言葉の中に「加藤氏は才能を見抜く力に長けている」というものがありました。表現はこの通りではありませんが、吉田拓郎氏の加藤和彦評です。実に的確です。実際、加藤氏の周りには多くの才能あるミュージシャンが集いました。上述のバンドメンバーを見れば分かります。ある者は彼とバンドを組み、ある者は彼と一緒にアレンジをし、ある者は彼とともにレコーディングをし、それがきっかけとなって徐々に名を上げていき、多くが日本のニューミュージックの中心的人物になっていきました。それは音楽のみに留まらず、ファッションや料理にまで広がります。
つまり、加藤氏には審美眼があるのです。
いわば、彼は「目利き」でしょう。古くは千利休のような。戦前戦後の頃なら青山二郎氏や小林秀雄氏のような。
ただ、そうした目利きたちの審美眼は、過去、例えば、絵画、骨董、文学といったものに向きがちです。音楽へ向いたとしてもクラシックです。しかし、加藤氏のそれは時代の流れも手伝い、ポップミュージックに向いたのです。これはある種奇跡というか僥倖というか、実に素晴らしい巡り合わせでした。彼がいなければ、日本の音楽界は随分と違う風景になっていたかも知れません。そんな事を改めて考えさせる映画でした。
ただ、残念ながら、映画の中で語られるエピソードは過去に聞いたことがあるものが大半でしたし、そうでないものも、過去聞いた話から想像出来る範囲内でした。出来れば、何故彼があのような目利きになったのか、そこを掘り下げてほしいと思いました。まぁ、そうすると、タイトルの「その時代」というより、彼の出生から育った家庭などを追うことになり、主旨が変わってしまうので難しかったかな。
加藤氏はその卓越した審美眼で、芸能界の外からいとも簡単に商業的成功を掴みます。従って、彼は同世代の人間より早く具体的な新しいポップミュージックの形を示します。例えば、加山雄三氏、美輪明宏氏、かまやつひろし氏らは加藤氏より早くから自作曲を世に問う姿勢を持っていたでしょう。ただ、音楽プロデュースという面では加藤氏こそが先取りしていたと言えるでしょう。他には細野晴臣氏あたりですか。
何しろ、アングラフォークでサウンドプロデュースを示し、そのアイディア一つでミリオンヒット。ロックバンドで海外進出を実現。先年、世界的に人気を得た日本のシティポップ、その中心的人物とも言える竹内まりや氏をプロデュースし、世に送り出したのも加藤氏ですから、今なお彼の審美眼は世界に通じると考えていいでしょう。
「あの素晴らしい愛をもう一度~2024ver」(映画の最後に流れます)
何故2024年の今加藤和彦なのか?と最初は訝しく思う面もあったのですが、そういうシティポップの人気などを考えれば、改めて彼の功績を振り返り、その偉大さと何よりも彼の音楽を伝えていくというのは大事な事だと思いました。音楽好きは「そんなの当たり前だよ」と思いがち。映画という形にして示していくのは価値がある事です。多くの人に観て貰いたい一本です。
それでは、また。
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新曲公開しました。是非聴いて下さい!
「カラキリクルコロ」
「NSA」
「下剋上」
「春に死のう」