ムー大陸です
「お富さん」
です。
これは1954年の春日八郎氏の大ヒット曲です。70年も前ですから、今ではどれくらいの人が聴いたことがあるか分かりませんが、是非共皆さんに聴いて頂きたい1曲ですから、取り上げます。
この歌の魅力は、先ずはノリの良いメロディです。カテゴリー的には演歌に属するのでしょうが、純粋にサウンド的にはブギウギで、聴くと「パパン パパン」と手拍子を入れたくなります。実際に手拍子入ってますし。シンフォニック歌謡と呼ばれる位ですから、アレンジは明るく豪華です。春日氏の歌も一聴すると、ノリ良く軽く歌っている様に思えますが、実は細やかにこぶしを回しており、そこは昭和の演歌です。春日氏はこの1曲でスターダムに上りました。
勿論、ヒットは曲によるところも大きいですが、歌詞も実に不思議な味わいがあります。と言うのも、歌詞が分かりにくい、分かりにくいのに、歌詞の言葉自体に力があって、意味は分からないけど、歌ってしまうのです。「死んだはずだよ、お富さん」「生きていたとは お釈迦さまでも知らぬ仏のお富さん」、何じゃコリャと思いつつ、ノリも語呂も良く口ずさむんです。ヒットした当時、子供たちが歌って困ると問題になったらしいですから。
さて、実は、この歌詞は子供が口ずさんでは問題になる内容なんです。元ネタは歌舞伎です。「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」という芝居です。
これは与三郎とお富の恋愛話。本当にザックリその内容を。
与三郎は木更津のある大店の跡取り、お富は同じく木更津のヤクザの親分の女です。与三郎とお富はお互い一目惚れで恋に落ちる。しかし、それがバレて与三郎はヤクザの私刑にあい全身傷だらけ、お富は海に身を投げて死にました。与三郎は勘当され、今では「向疵の与三(むこうきずのよさ)」あるいは「切られの与三」と名乗るヤクザになっています。その与三郎が小遣い稼ぎに、金持ちの妾の家に強請りに入ります。金持ちで弱みのありそうな家に行くのです。その妾も面倒くさいから、金をちょっと渡して帰らせようとする。すると、与三郎は驚きます。その女は昔海に身を投げて死んだと思っていたお富だったからです。
ここまでの流れが基本的に1番2番の歌詞です。
歌詞を見てみましょう。
1番
粋な黒塀
その女の家には黒い塀があるということ。これが江戸時代の愛人宅仕様らしいです。
見越しの松
塀の外から見ると、塀より高く伸びている枝振りの良い松が見えるということ。
仇名姿の洗い髪
お富は色っぽい姿でその上湯上がり。
「死んだはずだよお富さん」
「生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏の
お富さん」
上述のストーリーに沿っています。
海に身を投げたお富は通りかかった船に助けられていたのです。
歌舞伎では大きな見せ場で、
お富に気付いた与三郎が、
「もし ご新造さん。え、おかみさん。え、お富さん。いやさぁお富ぃ〜 久しぶりだぁなぁ」と言うと、大喝采。
名科白に挙げられています。
その後、与三郎は、
「死んだと思ったお富が生きていたとは
お釈迦様でも気付くめい」
と悪態をつきます。
これがそのまま歌詞に。
「エーッサオー」はかけ声です。
「玄冶店(げんやだな)」は場所の名前です、今の日本橋人形町あたり。江戸時代、あそこら辺は閑静な住宅街で、愛人宅が多かったそうです。ただし、話の舞台は鎌倉です。当時、芝居に実在の地名を使う事を許されていなかったため、場所を鎌倉の源氏店(げんじだな)に変えて上演されています。観客は玄冶店の事だとすぐ分かったはずです。
2番
過ぎた昔を 恨むじゃないが
風もしみるよ 傷の痕(あと)
久しぶりだな お富さん
今じゃ異名(よびな)も 切られの与三(よさ)よ
これで一分(いちぶ)じゃ お富さん
エッサオー すまされめえ
「風が染みるよ疵の痕」
「切られの与三」
上記のストーリー通りです。お富への恨み言も多分に入ってます。
「これで一分じゃ済まされめぇ」
一分とはお金の単位です。つまり、上記ストーリーで、お富が渡そうとした金が一分だった。死んだと思っていたお富と会い、それも誰かの妾になってると知ったからには、一分を貰ってただ帰るわけにはいかないという事です。
3番
かけちゃいけない 他人の花に
情かけたが 身の運命(さだめ)
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エッサオー 茶わん酒
これが3番になると、大きく歌舞伎のストーリーから外れていきます。歌舞伎ではこの後、お富を囲っている旦那がやって来ます、そもそも、お富の家に強請りに行ったのも兄貴分と二人で行ってますから、そのまま今夜は二人で飲み明かそうというのはこの歌のオリジナルストーリーです。特に難しい言葉が無いのは、歌舞伎の設定を盛り込んでいないからでしょう。
歌舞伎のストーリーは、実は今の旦那はお富の生き別れた兄だったとか、木更津時代の復讐劇や、最後には与三郎の弟分の生き血をお富が飲んだら、与三郎の傷が消えるという荒唐無稽な結末を迎える為、今では手に手を取り合って二人が旅立つという結末にするケースが多いようです。この歌の3番4番もそうです。
人の女に手を出したのが運の尽き。そんな愚痴を言っても始まらない。今夜は飲もうというのが3番。ここで二人は和解したようです。
4番
逢(あ)えばなつかし 語るも夢さ
だれが弾(ひ)くやら 明烏(あけがらす)
ついて来る気か お富さん
命短く 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エッサオー 地獄雨
そして、4番です。酒を飲んで語り合うと昔を思い出す、懐かしい。そして、「ついて来る気か」、つまり、二人で旅立つのです。
誰が弾くやら明烏
明烏とは浄瑠璃「明烏夢泡雪(あけがらす ゆめのあわゆき)」のことです。浄瑠璃の音楽、つまり、新内節を誰かが三味線で弾いているのが聞こえるという意味です。ただ、この「明烏夢泡雪」は心中物ですから、悲恋に終わるのです。つまり、お富与三郎二人の行末も暗いことを暗示しています。ですから、最後に地獄雨と来ます。
と、まぁ、この明るい曲にこのような男女の物語が乗っかっているのです。子供が口ずさむのがどうかと当時の親たちが思ったのも無理はありませんね。
しかし、この歌にはそういう魅力があるのです。歌詞の意味は分からない、それもアブラカダブラのような呪文ではないのです。意味のある言葉が並んでいながら、全く意味が分からず、それでも口ずさむ、他にそんな曲を知りません。ヒットした当時は今よりこの歌舞伎を知っている人が多かったとは思いますが、それでも大人の常識というほどではないでしょう、意味を分からず、口ずさんでいたのは子供ばかりではなかったと思います。
一つ付け加えます。1977年ディスコブームの真っ只中、この曲のカバーが発売されました。
それが「ディスコお富さん」。
「ディスコお富さん」 エボニー・ウェッブ
元々ノリが良い曲ですから、ディスコアレンジにはもって来いです。いや、このカバーは音楽的な面より、やはり、歌。歌です。エボニー・ウェッブというディスコ音楽のグループですが、もう最高、そして、最低です。日本語がカタコト。歌っているヴォーカルは絶対歌詞の意味分かっていないと誰もが思うたどたどしさ。「切られの与三」、「ラレ」が全部Rの発音だよ。「玄冶店」、言えてないよ。いやいや、それがこのカバーの良さです。元々意味が分からず歌われていたんだから、こんなの簡単に出来るんです。これ企画した人は偉大です。あの日本語にOK出すのって意外と度胸いると思うけど。
あらためて、「死んだはずだよ、お富さん」ってのはキラーフレーズです。素晴らしい。
それでは、また。
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新曲公開しました。是非聴いて下さい!
「カラキリクルコロ」
「NSA」
「下剋上」
「春に死のう」