ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

その映画は「アマデウス」

ムー大陸です

 

今回のテーマは、

 

映画「アマデウス

 

です。

 

アマデウス」予告編

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過去音楽映画の話を何度かしました。それらはどれも素敵な映画でしたが、この映画は特別です。ピーター・シェーファーの戯曲をミロス・フォアマン監督が映画化。あらゆる音楽映画の中で最高峰、いや、全ての映画の中で私が最も愛する一本、それが「アマデウス」です。

 

ウォルフガング・アマデウスモーツァルト、作曲家モーツァルトのフルネームです。従って、これはモーツァルトの映画です。とは言え、正確にはこの映画の主人公はアントニオ・サリエリと言う人物。この人も実在の作曲家です。簡単にストーリーを説明します。宮廷音楽家サリエリオーストリア皇帝の寵愛を受ける欧州一の作曲家。一方、モーツァルトは子供の頃から天才と呼ばれた新進気鋭の若手作曲家。皇帝がモーツァルトに興味を持ち、彼を招聘します。そして、現れたモーツァルトはその才に似つかわしくない下品で粗野で無礼かつ傲慢な若者でした。多くの人は彼の才を認めつつも、その音楽は新しく刺激が強過ぎるものとの評価でした。でも、サリエリだけは理解していました、モーツァルトこそが本当に最高の音楽家であると。やがて、サリエリモーツァルトの才に嫉妬し、仕舞いには彼を死に追いやろうと計画する。こんな流れです。本当にザックリね。何しろ3時間の映画だから。

 

この映画には二つの軸があります。一つは天才と凡人。もちろん、モーツァルトサリエリです。そして、もう一つは神と人間です。サリエリはずっと神に祈ってきました、「私は礼節を重んじ、努力を重ね、自分の音楽の中であなた(神)を讃えます。だから、私に不滅の栄光を」。そして、彼は今や欧州一の作曲家です。彼の願いは聞き届けられた、そう信じていました。でも、違った。本当の天才が現れて初めて知るのです、「私が成りたかったものはこれだ」と。だが、皇帝をはじめ世間はモーツァルトより自分の音楽を評価する。彼らは世界最高の音楽を理解する事すら出来ない。サリエリだけが分かるのです。そして、こう思う「神よ、あなたは私に本当の才を与えず、それを理解する才だけを与えた」。彼は神と訣別し、神が愛するモーツァルトを追い詰めようと試みるのです。何ともねじれた感情です。

 

この映画は全編回想シーンという構成です。映画の冒頭、老いたサリエリが自殺を図り病院に運ばれます。モーツァルトはとうに亡くなっている。サリエリは自分が殺した、すまなかったと良心の呵責からカミソリで首を切ったのです。幸い命に別条は無く、彼のところに神父がやって来ます。苦しければ、懺悔、告白せよということです。

 

だが、サリエリは神父に尋ねる

「音楽を学んだことは?」。

神父「若い頃、このウィーンで」。

では、この曲を知っているなとチェンバロを弾き始めます。だが、神父は知らない。サリエリは不満そうに

「かつてもてはやされた曲だぞ」。

そうです、弾いたのは彼の作品なんです。じゃぁ、これはどうだ、サリエリは別の曲を弾き始める。神父はまたも聴き覚えがない。サリエリは言う、

「自分は欧州一の作曲家だったんだ」

神父はあまり信じていない様子。

更にサリエリは、

「では、これはどうだ」と3曲目を弾く。

神父はいい加減にしてくれと辟易した表情を浮かべたその瞬間、アイネ・クライネ・ナハトムジークが流れます。神父は演奏に合わせて口ずさんで、

「おお、この曲は知ってます。素敵な曲だ。あなたの作品だったとは知りませんでした」

と言う。サリエリは暗い表情で

「私の作品ではない、モーツァルトの作品だ」と答える。

 

始まって15分くらいのシーンです。

このシーン凄いです。映画を観ている私たちも全く神父と同じです。1曲目、2曲目は本当にサリエリの曲らしいのですが、聴いた事がありません。しかし、アイネ・クライネは聴いた事がある。これは映画ですから、本当は知らない曲でも3曲目だけ知っていると神父に言わせることも出来るのです。でも、それをしなくていい。する必要がない。世界的に公開され、どの国で上映しても、それが通用する。200年以上経っているのに。こんな音楽なんです、サリエリが神に祈った不滅の栄光とは正にこれなんです。

 

モーツァルトは死に、サリエリは長生きをするうちに、自分の音楽が忘れ去られていくのを痛感する。彼が入院した病院も精神病院といった様相で、傍目には彼は頭がおかしいと思われている。欧州一の作曲家だった面影は何処にも無い。これが神に戦いを挑んだ人間の末路です。

 

でも、彼は神父に言う「私はあなたのような凡庸なる人々の王者なんだよ」。彼は狂ってなんかいない。モーツァルトを死に追いやったと悔いてはいるが、神に挑んだ事は後悔してはいない。彼は凡庸なるみんなを代表して天才に挑んだと微笑み見せる。

 

ただ、彼は望んでないだろうが、もっと幸せになる方法はあっただろう。映画の終盤、サリエリモーツァルトに言う「私が知る限り君は最高の作曲家だ」。それを聞いたモーツァルトは「恥ずかしいな。嫌われていると思った」。ここで二人は分かり合えた。モーツァルトサリエリを見くびっていた。理解すら出来ない凡人と思っていた。でも、彼は一番の理解者だったと知ったのです。

 

もし、サリエリがいち早く彼のバックアップに回ったなら、モーツァルトサリエリを人間として尊敬し(音楽家としてではない)、ひょっとすると、サリエリモーツァルトを発掘したと歴史に名を残したかも知れません。モーツァルトももう少し経済的に恵まれて長生き出来た可能性もあります。

 

なんて事にはなりませんね。サリエリが祈ったのは不滅の栄光ですから。

この映画、どうしてもサリエリ目線で見てしまいます。さすがにモーツァルトは人間離れしていて感情移入出来ません。なので、出来ればサリエリには幸せになって欲しかったんですけどね。

私なら神に戦いを挑みません。

 

まだ観たことがないという方は、是非一度。

長い映画ですが、引き込まれて長さを感じませんよ。

それでは、また。

 

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「あやかし」

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