ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

モーツァルトの手紙

ムー大陸です

 

 

前回は映画「アマデウス」について話しました。その流れで今回もウォルフガング・アマデウスモーツァルトの話題です。

 

 

映画「アマデウス」予告編

www.youtube.com

 

映画「アマデウス」のモーツァルトの人物像は下品で粗野で傲慢かつ無礼な若者でした。あれほど美しい音楽を紡ぎ出すモーツァルトをあんな風に描くなんて許せないなんて声も聞こえてきそうです。原作者のピーター・シェーファーはどのようにしてこのキャラクターを設定したのでしょう。

 

恐らく、それはモーツァルトが残した大量の手紙、その内容から着想を得たのではないでしょうか。モーツァルトは幼い頃から父と共に音楽巡業のように欧州各地を旅しました。その旅の過程で多くの手紙を書きました。また、大人になってからも父や家族、友人へ手紙をまめに送っています。これが残っており、本にもなっています。まぁ、自分が書いた手紙が自分の死後本になって人に読まれるっていうのは気の毒な気がします。実際、妻に宛てた赤裸々な愛情表現なども含まれているし。

 

ただ、これがあったから、ピーター・シェーファーは人物像を創り上げる事が出来たのではないかと思います。割と手紙の文章の中に品のない下ネタ的表現が繰り返し使われており、そういうものがある程度参考にされていると思います。ここで手紙のどこの部分が映画のここに活かされているなんて事を言うのが今回の目的ではありません。この手紙の内容で一つ驚いた事があったので、今日はそれを紹介したいです。

 

モーツァルトが故郷の家族に宛てた手紙の中にこんな事が書いてありました。正確ではありません、でもニュアンスは同じです。

 

「私は詩が書けない。詩人ではないから。私は絵で光と影を描く事は出来ない。画家ではないから。でも音楽でなら出来ます。音楽家だから」

 

こんな感じでした。

これ当たり前の事言ってると思うでしょう。でも、少し考えると異常な気がします。細かい事は書いてませんが、音楽でなら出来ると言っています。詩人はそれを言葉でする、画家はそれを絵でする、音楽家は音楽でするんです。何をっていうのは明確には説明しにくいですけど、例えば、人の喜びや悲しみ、愛や夢を表現して人々を感動させる、そんなのも含まれると思うのです。

 

人の悲しみを詩人は言葉を使って詩にのせるんです。それは理解出来る。画家が絵で悲しみを描く、これも分かる。詩も絵も目に見えるからね。ただ、どうでしょう?音楽で人の悲しみを表現するというのは分かりにくい。暗く短調を鳴らせば、悲しみが表現出来る?そんな訳が無い。では、音楽で悲しみや喜びを表現するにはどうすればいいのだろう。

 

当然ですが、歌詞に思いを込めるなんてのは論外ですよ。歌詞はあくまで言葉です。それは詩人がやっているのと変わりませんね。音だけで、つまりインストで喜びも悲しみも、愛も夢も、正義も悪も、何気ない日常まで描くのはどうすればいいのでしょう。私も音楽制作に携わる者ではありますが、残念ながらその答えを持っていません。未熟者ですみません。

 

ところが、モーツァルトは言うんです、

 

「音楽でなら出来ます」

 

驚いたのはここです。

当たり前の事を言っているようにと上述しましたが、正にそうなのです。音楽家なのだから、音楽だけで人間を表現するのが当たり前と事もなげに言っているのです。私などには想像もつかないんですけど、本当にモーツァルトはそのやり方を知っているんでしょう。

ただ、私は少なくとも、ポップミュージックの世界でそれを知っていると思える人は一人もいません。

モーツァルトは孤高です。

楽家の夢です。

それでは、また。

 

私のYouTubeチャンネルもよろしくお願いします。

www.youtube.com

新曲公開しました。是非聴いて下さい!

「あやかし」

www.youtube.com

「死ぬまで生きてくんです」

www.youtube.com