ムー大陸の音楽探検

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名曲たちの成績表21〜「Tout,tout pour ma cherie(シェリーに口づけ)」

ムー大陸です

 

 

過去の名曲をヒットチャートのアクションから紐解く、名曲たちの成績表のコーナーです。

今回は、

 

 

「Tout,tout pour ma cherie(シェリーに口づけ)」

 

 

です。

 

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多くの人が一度は耳にした事があるのではないでしょうか。日本では度々CMなどに使われ、かなりの耳馴染み、今やスタンダードと言ってもいい名曲ですね。フレンチ・ポップスの貴公子ミシェル・ポルナレフのナンバーです。

私はフレンチ・ポップスが大好きです。本日はこのフレンチ・ポップスについて触れながら、このミシェル・ポルナレフやその音楽を考えていきたいと思います。

フレンチ・ポップスと言うと、普通に「フランス語のポップス」とか「フランス人によるポップス」と考えがちですが、実はそうではありません。言葉の関係上そういう意味で使うこともあるとは思いますが、本当の「フレンチ・ポップス」、狭い意味での「フレンチ・ポップス」は60年代から70年代にかけて、主にロックムーブメントに対応した新しいポップスを指すのです。フランスの流行歌と言えば、シャンソンですが、それと一線を画したいという明確な意図を持って名付けられたのがフレンチ・ポップスなのです。まぁ、あまりにも普通の名前なので、ちょっと使いづらいですね。だって、イタリアン・ポップスはそういう風には使いません、普通に「イタリアのポップス」ですから。

例えば、日本において歌謡曲と差別化を図るためにフォークソングやシンガーソングライターの作品をニューミュージックと呼びましたが、それに近いでしょう。あやふやな名前も一緒です。

 

60年代のロックムーブメントの中心はビートルズでした。リバプールやロンドンが世界最先端の音楽発信地であり、ロックの母国かつ最大のマーケットのアメリカまでも征服しました。日本にもその影響は及び、グループサウンズやその後のシンガーソングライターたちの登場がそれにあたるでしょう。

 

そして、フランスのロックへの応え、それがミシェル・ポルナレフです。

 

そうであるならば、別にフレンチ・ポップスとわざわざ名付けなくても、ロックはフランスでもロックでいいはずです。と言うか、そうあるべきです。つまり、フレンチ・ポップスとはロックへの応えではありますが、ロックではないのです。あくまでポップス。

いくつか特徴はありますが、何と言っても特筆すべきはバンドではないというところ。ソロアーティストが主で、女性シンガーも多い。あくまでロックムーブメント当時の今を捉えたのであって、ロックそのものを受け入れていません。

 

当然ですが、フランス語で歌われていますから、差別化を図ろうとしても、どうしてもシャンソンを感じてしまいます。そこには強い関連性が否応無くあります、ロックであるという認識を更に遠ざけます。

ミシェル・ポルナレフのデビュー曲「ノンノン人形」のバックを務めたのは後のレッド・ツェッペリンのメンバーでした。つまり、サウンド的には十分ロックの要素が満載されていますが、それは一面であって、彼の音楽性はより広く、ビートルズが多面性を有しているように、ミシェル・ポルナレフも多面体なのです。こういう言い方は誤解を招きそうですが、ミシェル・ポルナレフは結果的にフランスのロックへの応えであり、ビートルズへの応えと考えています。

「ノンノン人形」

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ただ、ビートルズに代表されるイギリスのバンド達がアメリカを侵略したのに対し、フレンチ・ポップスのアーティスト達は殆どアメリカで活躍する事はありませんでした。

もちろん、そこは言語の壁が大きかったのは間違いないでしょう。ただ、極端にフレンチ・ポップスの側に立って言わせてもらうと、フレンチ・ポップスは「アメリカには理解出来ない」という事です。ミシェル・ポルナレフも別に海外進出に意欲が無かった訳ではありません。現に日本にはやって来ていますし、アメリカにおいても映画「リップスティック」のサントラなどを手掛けています。また、本格的な成功を狙って、英語の歌を歌ったり、英語のアルバムを作ったりしました。

ただ、フレンチ・ポップスを英語で歌うと、ただのポップス。曲は素晴らしくとも、何と言いますか、独特のエスプリのようなものは消えてしまい、アメリカにもあるポップスと変わらなくなります。それは真のミシェル・ポルナレフの音楽とは言い難い。戦略としては理解出来ますが、そうまでしてアメリカに行く必要はないと割り切るべきでした。フランス語のままで受け入れられないのはアメリカに問題があるのです。日本は英語もフランス語も受け入れてますから。

 

ですから、チャートアクションで名曲を追いかけるのがこのコーナーの趣旨ですが、ミシェル・ポルナレフアメリカでチャートインしていません、1曲も。従って、今日のテーマ「シェリーに口づけ」もヒットしていません、以上。って訳にも行きませんね。

それでは母国フランスでは大ヒット、いえ、していないんです、ヒット。そもそも、この「シェリーに口づけ」はフランスではB面だったのです。日本でも最初はフランスと同じカップリングでB面として発売。1969年のことです。当然、その時はヒットしていません。

その後、1971年にA面として発売されます。ようやくここに至って40万枚のヒットとなりました。ミシェル・ポルナレフのヒット曲は数多くあります。「Love Me, Please Love Me(愛の願い)」「Holidays(愛の休日)」などが代表作として挙げられるでしょうが、日本では最初に「シェリーに口づけ」が来ます。恐らく、それは世界で日本だけではないでしょうか。日本人にとっては英語もフランス語も外国語です。分け隔てなく聴き、70年代、ミシェル・ポルナレフエルトン・ジョンカーペンターズに匹敵する、あるいは、それ以上のスターになりました。

「愛の願い」

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「愛の休日」

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いや、それどころか日本人はミシェル・ポルナレフに対し、「シェリーに口づけ」がB面?それはちょっと間違っていますよと提案までしたのです。ミシェル・ポルナレフ自身も日本で思いもよらず「シェリーに口づけ」がヒットしたことを喜んでいたと聞きます。素晴らしいことです。

ちなみに「シェリーに口づけ」のシェリーは名前ではありません。英語のダーリンみたいなものです。ですから、タイトルを英訳すると、「All All For My Darlin」です、和訳だと「全部あなたの為に」ってとこです。なので、邦題はナンチャッテです。

それでは、また。

 

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「葬送無用」

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「飛べ! ワタシ 飛べ!」

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「カラキリクルコロ」

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