ムー大陸です
漫画は音が聞こえませんから、音楽漫画というのは描くのが難しいと思いがちです。確かに技術や演出が必要でしょう。でも、音楽漫画は意外と多いし、ヒット作もたくさんあります。
先般、このブログでも取り上げた「BLUE GIANT」然り、既に完結している作品で言うと、例えば「BECK」とか「のだめカンタービレ」とか。これらの漫画は音が聞こえない不利を覆して、傑作になったのでしょうか?いや、実は音が聞こえないことは必ずしも不利ではなく、と言うか、むしろそれは最大の有利と言ってもいいのではないかと思うのです。
上記の3作品はいずれも映画化されてます。「BLUE GIANT」については以前にも書きましたが、あの作品の主人公はサックス奏者です。作品の中でよく「強い音」と言われるんです。漫画ではその強い音は聴こえませんから、私は自分でその強い音を補完しなければいけません、頭の中で。場合によっては、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンの音をはめる事だって出来る訳ですよ。これが最大の有利。どうせ音は出ないのだから、強いと書いてしまえばいいのです。
ところが、これを映画化するとそうはいかない。実際に強い音を見つけてこなければいけません。勿論、プロのジャズマンに頼めば、何とかなる話ではありますし、実際に映画では何とかしてました。ただ、それはそれで味気ないのです。夢の終わりと言うか、頭の中で描いてた音を実際に示されるというのは、その音が悪くなくても、ちょっとした失望感を伴います。実際、「BLUE GIANT」でもそうでした。つまり、これは聞こえるから不利になっている訳です。
それをある意味事前に拒否したのが映画「BECK」でした。この漫画の主人公はシンガーですが、「ちょっといない声」と言われてるんです。本来ならその「ちょっといない声」を見つけてこなければいけません。オーディションするなり、あるいは既に有名なシンガー使うなりして。ただ、いずれにしても姿形を与えることになりますから、上記のように夢の終わりな訳です。人によっては、大きな期待外れを感じる危険性も多分に含んでいる。
そこで映画「BECK」は主人公の声を示しませんでした。主人公が歌うシーンは無音になるんです。観客の驚いたような表情とかを挟んだり、スローモーションにしたりして「ちょっといない声」を演出していました。これは原作者からの指示だったと聞いてます。なるほど、それなら頭の中の声とのギャップは生まれません。
でも、示さなきゃ示さないで失望するんです。そもそもそこを示さないと映画として成立しないと思います。映画化するなら、形を示すべきで、声を出さないなら、映画化しなくて良かったのにと思います。つまり、これも聴こえることが不利なんですよ。因みに私の想像した声はハイトーンの女の子のような声、エアサプライのラッセル・ヒッチコックあたりかな。
その点、「のだめカンタービレ!」は無難にまとまりました。それは演奏されている音楽がクラシックであり、みんなが共通の形を知っているからです。こうなると、音が聴こえることが大きな有利となります。前提が共有出来るクラシックものは映像化にもってこいです。私が最も好きな映画「アマデウス」はモーツァルトが主人公。ならば、彼の音楽が聴こえないのはさびしい。戯曲からは音は聴こえませんから、それは舞台なり映画なりにして本当の形になります。
つまり、音が聞こえない有利とは「誰も聴いたことがない音」を簡単に登場させる事が出来ることです。「強い音」「ちょっといない声」と書けば完了です。
一方で音が聞こえる有利とは「みんなが知っている音」を聞くことです。クラシックの名曲はその最たる例です。
まぁ、「誰も聴いたことがない音」を見事に見つけてくるっていうのがベストだと思うんですけど、それは正直一度も経験したことないです。
それでは、また。
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「プルトニウム」
「死ぬまで生きてくんです」