ムー大陸です
今回のテーマは歌謡曲におけるブルースについてです。歌謡曲には「⚫︎⚫︎ブルース」とタイトルが付いて曲が結構多いです。ただ、皆さんも感じたことがあるでしょう。あれは本当にブルースなんでしょうか?
「伊勢崎町ブルース」「昭和ブルース」「あなたのブルース」など私が好きなブルースと名のついた歌謡曲、これらはブルースなのか?結論から言ってしまうと、これはブルースではありません。
「伊勢崎町ブルース」青江三奈
「昭和ブルース」天地茂
「あなたのブルース」矢吹健
もちろん、ブルースは割と自由度が高い音楽であるし、歴史の中で色々変化してきています。それでも、やはり核になる部分はあります。基本的に憂鬱な歌であること、背景としてアフリカ系アメリカ人の黒人たちの感情表現であること、音楽的にはブルー・ノート・スケールという音階で書かれること、12小節形式で構成されることなどなど。様々なヴァリエーションが生まれていますから、一概にこれはブルースではないと決めつけるのは難しいですが、個人的にはスケールは大事だと思っています。
そこで歌謡曲のブルースを振り返ってみますと、文化的背景は有していないのはやむを得ないとしても、音楽的な要素も押さえていないことに気付きます。かろうじて、憂鬱な歌であるという一点のみクリアしている。いや、「伊勢崎町ブルース」は憂鬱な歌だろうか?まぁ、そこは目をつぶりましょう。
そもそも日本歌謡曲ブルースの発祥は淡谷のり子氏の歌った「別れのブルース」と言われています。服部良一氏が作曲。作詞は藤浦洸氏。1937年の作品ですから随分と古い。ただ、作曲した服部氏は当然ですがブルースとはどういうものかを熟知していたはずです。それでも「別れのブルース」はその後生まれる多くの歌謡曲ブルース同様、ブルースではないのです。つまり、服部氏は分かっていながらやっていたのでしょう。そもそも、日本人はアメリカの黒人たちのような文化的背景を持っていない。ならば、その音楽的エッセンスだけを正確に取り出したところで本物になるわけがないと考えていたのではないでしょうか。ブルースという音楽が持つコンセプトを日本人に合うように取り入れて作られたのが「別れのブルース」で、服部氏はあくまでも歌謡曲を作ったのであり、ブルースを作ったわけはなかったのです。
その後、日本の歌謡曲はその姿勢を継承し、演歌のように元々憂鬱を歌うことが多い楽曲と結びついて、多くの歌謡曲ブルースが生まれます。もちろん、一方で、本物のブルースを追求するミュージシャンも後に登場します。例えば、憂歌団とか上田正樹氏とか。まぁ、そこら辺は歌謡曲の括りではないですが。
ブルースのザックリしたコンセプトだけを取り込んだ歌謡曲ブルース。時間の経過とともにその姿勢すら薄まっていきます。例えば、「スニーカーぶるーす」などは、確かに失恋の歌ではあるが、最早ブルースと名付けた理由すら理解しがたいものがあります。
「スニーカーぶるーす」近藤真彦
また、そうした歌謡曲の姿勢は対ブルースだけに留まりませんでした。例えば、「東京ブギウギ」は本当のブギウギなのか?「霧子のタンゴ」はタンゴなのか?「星のフラメンコ」は?「お嫁サンバ」は?と挙げれキリがないくらい色んな音楽を貪欲に取り込んだ歴史があるのです。もちろん、音楽的にしっかり本物である曲も少なくないですが、日本におけるその音楽の活動を支えているのは歌謡曲とは別にいると考えた方がいいでしょう。
なので、歌謡曲のブルースはブルースである前に歌謡曲なのです。本物のブルースではないと言ってしまえば、それはその通りです。B.Bキングやベッシー・スミスが本物のブルースですから、青江三奈氏が本物のブルースなわけがありません。
それでもいいんです。偽物のブルースだとしても本物の歌謡曲なのですから。
それでは、また。
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「春に死のう」
「Evergreen」