ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

名曲たちの成績表15~「Stayin’ Alive(ステイン・アライヴ)」

ムー大陸です

 

チャートアクションから過去の名曲を振返る名曲たちの成績表のコーナーです。

今回のテーマは、この名曲です、

 

「Stayin' Alive(ステイン・アライヴ)」

 

です。

 

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はい、皆さんご存じですね。あのビー・ジーズの名曲です。70年代一世を風靡したあの名曲はいかなる成績を残したのかという話ですが、今日はそれよりも遥かにスケールの大きい話になります。

 

流行歌手というのは、やはり流行ですから、時とともに変わっていきます。

それでも振り返った時に、「あの頃は○○○○の時代だった」と言える流行歌手がいます。それは単にその頃一番売れていたというだけではありません。

 

例えば、ちょっと前にテイラー・スイフトが米国ビルボードチャートにおいて、1位から10位までを独占するという快挙を果たしました。それでは今はテイラー・スイフトの時代なのでしょうか?いや、そうではありません、彼女は今最も売れているシンガーですが、彼女の時代とは思いません。ヒットチャートにおける快挙は、アルバム曲を含めたカウント方法によるものだし、何より世界の音楽シーンが彼女一色という強いインパクトで覆いつくすという状態とは程遠い印象です。今のような何でも容易に聴ける時代は、各々が好きな音楽を聴いているから、もはや強いインパクトは生まれないかも知れません。

 

強いインパクトとは何か?必ずしも決まっているわけではありません。ただ、単に売れているだけではないとすると、例えば、何か新しいサウンド、ムーブメントと結びついている、その上で、それが熱狂的に受け入れられ、爆発的に売れたというものを想定します。

 

実はそれを感じるアーティストは個人的には過去4組しかいません。

エルヴィス・プレスリービートルズマイケル・ジャクソン、そして今日のテーマ「Stayin`Alive」を歌ったビー・ジーズです。

エルヴィスは、もちろん、ロックンロールそのものの誕生、ビートルズは新しいロック、芸術としてのロック、マイケルはミュージックビデオというその時々の大きなムーブメントと結びついた形で一つの時代を築いたのです。

 

その時代も10年という長いタームではありません。エルヴィスの時代は「Heartbreak Hotel」が大ヒットした1956年から徴兵による軍隊入りの1958年までの約3年間、ビートルズは、アメリカ上陸の1964年から解散の1970年までの約7年間、マイケルはアルバム「Thriller」が大ヒットした1983年、というより「Thriller」のミュージックビデオが世に出た1984年からアルバム「Bad」が大ヒットした1987年の約4年程度と考えています。

そして、ビー・ジーズについては映画「Saturday Night Fever」の映画が公開された1977年から次のアルバム「Spirts Having Flown」でヒットを飛ばした1979年の3年間あたりと思います。

 

しかし、本当にこの4人だけなのか?他にも驚異的な売上を誇ったり、影響力の大きなアーティストはいます。例えば、エルトン・ジョンはどうでしょう。ビートルズビー・ジーズの間に最も売れていた彼は一時代を築いたと言えるのではないか。いえ、売上は申し分ありませんが、彼にはムーブメントを感じません。あるいは、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、マライヤ・キャリー、ケイティ・ペリーあたりの歌姫たちも売れていましたが、ムーブメントを感じません。

 

では、セックス・ピストルズはどうか?パンクというムーブメントはありますが、音楽愛好者以外まで巻き込む人気者ではなく、むしろムーブメントの大きさだけを感じます。それは90年代以降のヒップホップについても同様に思います。プログレ、ハードロックのレジェンドバンド、ピンク・フロイドレッド・ツェッペリンなどはムーブメントと売上は揃っているが、売上はアルバムに偏って、音楽愛好者以外の一般層への浸透度が弱いので、ブームには至っていません、やはり違う気がします。

 

そして、ビー・ジーズと結びついたムーブメント、それはディスコブームです。

私はこのムーブメントを非常に大きなものとして高く評価しています。音楽の楽しさの一つとして、「音楽に合わせて踊る」、これを改めて世界中の若者に認識させたのです。ディスコブームというと軽薄に聞こえますが、これは音楽の根源的な楽しさと結びついているからこそ、単なる音楽愛好家に留まらず、大きな広がりを見せたのでしょう。その立役者がビー・ジーズです。

 

当然、ディスコは従来からあったものだし、普通にディスコミュージックは流行っていました。ファンク系のブラックミュージックなんかのディスコミュージックのヒット曲はいくつもありました。それに加えて、1976年頃からディスコ系のヒット曲が増えてきていました。ビー・ジーズが「You Should Be Dancing」を1位にしたのもこの年でした。このヒットが「Saturday Night Fever」へ繋がったと考えて間違いないでしょう。

 

「You Should Be Dancing」

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そして、映画「Saturday Night Fever」の登場です。このサウンドトラック盤は歴史的名盤で、特にビー・ジーズの作品群は圧倒的な魅力に溢れています。その中でも「Stayin' Alive」は映画の主題歌的な位置付けであり、ディスコブームの象徴的な一曲と考えられるため、この曲を本日のテーマとしました。

この曲はビルボードヒットチャートで4週連続の1位を獲得、大ヒットしました。このサントラ盤からは他に、

「How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)」(3週1位)

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「Night Fever(恋のナイト・フィーバー)」(8週1位)

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と連続で大ヒットを飛ばしています。これらも全て名曲です。

 

ここで更に加えたい事があります。それがアンディ・ギブの活躍です。

アンディは、ビー・ジーズのバリー、ロビン、モーリス・ギブ三兄弟のさらに下の弟です。彼は1977年に、

「I Just Wanna Be Your Everything(恋のときめき)」

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「Love Is Thicker Than Water(愛の面影)」

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を立て続けにナンバー1にし、翌年にも

「Shadow Dancing(シャドー・ダンシング)」

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を1位、それも年間チャート1位とします。

 

これらの一連のヒットにはビー・ジーズのメンバー、つまり彼の兄たちがソングライターとして関わっており、ほぼ全てがビー・ジーズサウンドと言ってもいいものでした。

その上、ヒットチャート上では彼ら兄弟でヒットチャートの1位を奪い合うアクションだったため、支配的な活躍の印象を強めました。「Stayin' Alive」(4週)→「Love Is Thicker Than Water」(2週)「Night Fever」(8週)という順番です。14週間彼ら兄弟で1位を独占しました。その上、このチャートアクションの中で「Stayin' Alive」は一度は6位に下がったものの、「Night Fever」が1位になるのと同時に2位に再上昇、5週間に渡って1位2位を独占しました。ビートルズアメリカ上陸にも匹敵する強力な売れ方です。

更に「Night Fever」を1位から落としたのは、映画「Staurday Night Fever」から「If I Can't Have You」です。これもイヴォンヌ・エリマンが歌っていましたが、ビー・ジーズの作品です。全く手が付けられません。結局、この3か月に及ぶビー・ジーズの天下を止めたのが元ビートルズポール・マッカートニー率いるウィングスの「With A Little Luck」なのも何か縁を感じます。

 

結局、77年から78年にかけて、彼ら兄弟は6曲のナンバー1ヒットを放ちました。しかし、活躍はそこで終わりません。1978年後半、ニューアルバムを発表し、脱ディスコへ踏み出しました。そこからのシングルが、またも3曲1位となります。

 

「Too Much Heaven(失われた愛の世界)」

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「Tragedy(哀愁のトラジディ)」

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「Love You Inside Out(ラブ・ユー・インサイド・アウト)」

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です。これで約3年弱の間に、彼ら兄弟で9曲のナンバー1ヒットを出したことになります。実に濃縮された3年間です。

 

もちろん、映画は日本でも大ヒット。今では死語だと思いますが、「フィーバーする」という言葉が生まれました。いや、パチンコとかでは今でも使われているか。

 

ディスコブームは音楽業界のパイを大きくし、売上規模は膨らみました。「Saturday Night Fever」のサントラ盤は当時2500万枚を売ったとされており、その頃から売上1000万枚を超えるアルバムがちらほら登場するようになります。後の「Thriller」の売上もディスコブームの下地があったればと私は考えています。そこら辺もビー・ジーズの貢献大だと考えます。

 

一方で、パンクの精神の回で書いたように、大きくなり過ぎたビジネスやディスコサウンドに辟易したストリートの若者が、ビー・ジーズを批判的に捉えたのも事実です。ただ、その反動としてパンク、ニューウェイブが生まれるのなら、それもディスコブームの罪ではなく、功と考えましょう。

 

そんな訳で、私の中では時代を作った四天王の一角です。

過大評価ではありません。是非彼らのベスト盤を聴いて下さい。

実は、ビー・ジーズは息の長いアーティストで、60年代後半から活躍しています。ディスコサウンドに傾倒する前は、映画「小さな恋のメロディ」の音楽を担当し、

「Melody Fair(メロディ・フェア)」

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「First Of May(若葉のころ)」

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のような瑞々しいバラッドを得意としていました。彼らのベスト盤は彼らの変化も楽しめます、是非。

それでは、また。

 

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NSA

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下剋上

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「春に死のう」

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