ムー大陸です
前回は尾崎豊氏の「15の夜」の歌詞「盗んだバイクで走り出す」について話しました。
今回はそこから過去の曲とコンプライアンスに話を広げたいと思います。
例えば、「この歌詞今だったら完全にアウト」
という時、何がアウトなのか?そして、どうアウトなのか?
先ず何がアウトなのか?についてですが、
主に、
①犯罪行為を歌う
②暴力描写がある
③性描写がある
④差別的である
⑤その他(社会問題、政治信条など)
といったところです。
「15の夜」は①に該当します。
次にどうアウトなのか?ですが、
①公共電波で放送出来ない
②カラオケなど人前で歌えない
③販売出来ない
④ネットで配信出来ない
⑤自分のライブで歌えない
⑥制作出来ない
というあたりでしょうか。
「15の夜」は時と場合によって①と②に該当するのではと判断します。
歌詞の中に犯罪行為がある、暴力表現がある、性描写がある、差別表現がなど、過激と思える、あるいは偏った表現があった場合、公開する媒体が限定される、人気を得にくくなる、炎上することもあるかも知れません。それでも制作サイドに目的意識や覚悟があれば、つまり、メッセージや表現へのこだわりがあって、そこは譲る気が一切無いんだとすれば、それでいいのだと思います。フィクションの歌詞を歌うことは罪ではないので、制作出来て、配信出来て、ライブが出来れば十分な世の中ですから。
正に「15の夜」の尾崎氏はそうだったのでないでしょうか。
ただし、特定の個人への攻撃、特定の人種、性別への差別、公然猥褻に該当するものなどは、それ自体が罪に問われる可能性があり、コンプラ云々を超えてアウトでしょう。
つまり、この問題は何を表現してはいけないか?それをどう扱ってはいけないか?以前に制作側がいかなる意図をもってその作品を生み出したか?が大きな問題であり、今となってはその制作意図があり得ない、今ならそういう作品を作ろうとしないかどうかが問われると考えます。昔は大っぴらに放送もされていたし、人前で歌っても良かった歌が、今では憚られるというもの。ここには売ろうという意図はあっても、メッセージや表現へのこだわりはない場合が多いです。作った当時作詞者は悪気無く作ったのに、今となってはコンプライアンスに抵触するというものです。
先ずはシンプルな例を挙げます、
「恋の奴隷」
これもよくトンデモ歌詞として話題になりますね。特に「悪い時はどうぞぶってね」という歌詞は衝撃的です。その他の歌詞もひたすら男性に従属的です。内容的には上記の何がアウトなのか?の④差別的に該当すると判断します。ただ、これは発売当時であってもキワドイ線を狙っています。これを歌った奥村チヨ氏は「歌うのが嫌だった」と振り返っています。
この曲の制作意図は明らかに美しく若い女性にキワドイ歌詞を歌わせて、男性が楽しむというものです。男女問わずアイドルとは少なからずそういうものですが、昭和の時代はそういう意図が強調されていました。現在ならこの制作意図自体がアウトでしょう。
とは言え、「恋の奴隷」自体既に知られた曲なので、今でも販売も配信もされるし、奥村氏は引退しましたが、誰かがカバーして、ライブで歌うこともあり得るし、場合によってはテレビで放送することも出来るかも知れません。しかし、今同じ制作意図で新曲を作ることは出来ないと思います。これは重いです。制作自体出来ないのですから、何もその後は発生しないことになります。
ただし、これは制作意図を汲んでの話です。
歌詞の内容にこだわりがあり、これをどうしても歌いたいという場合、状況が変わります。
例えば、仮にMっ気の強い女性自身が「恋の奴隷」という歌を書いて発表するとなると、制作意図が変わります。それはそれで差別せず尊重する必要があると思いますし。そうなると、大っぴらには放送は難しくても、ネット中心、ライブ中心で話題になるなんてこともあり得ますね。まぁ、レアな想定ですが。
つまり、同じ歌詞であっても制作意図により取扱の可否さえ変わってくると考えます。
次回はいくつかの過去の曲を取り上げて、独自に判定していきたいと思います。
それでは、また。
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新曲公開中です!是非聴いて下さい♪
「春に死のう」
「Evergreen」