ムー大陸の音楽探検

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名曲たちの成績表16〜「Fame」

ムー大陸です

 

 

過去の名曲をチャートアクションから紐解いてみる名曲たちの成績表のコーナーです。今回はこの曲、

 

 

「Fame」

 

 

です。

 

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アイリーン・キャラの曲ではありません。1975年のデヴィッド・ボウイのヒット曲の方です。今回はデヴィッド・ボウイを通してイギリス人アーティストのアメリカでの活躍、評価について考えたいと思います。

 

私たち日本人からすれば、アメリカ人もイギリス人もどちらも洋楽です。マイケル・ジャクソンビートルズも洋楽。でも、当たり前ですが、イギリス人アーティストにとってアメリカは外国。世界最大のマーケットであるアメリカで成功する事は、海外進出を意味しますし、結構な高い壁であると認識しています。もちろん、言葉の壁は無いので、日本人にとってほどは厳しくはないでしょうが、高いハードルである事は間違いありません。

ビルボードアメリカのヒットチャート。当然、アメリカ国内での宣伝、イベント、ライブはアメリカ人アーティストの方がずっとやり易い。売上もアメリカ人の方が伸ばし易いでしょう。

グラミー賞アメリカの賞です。よく言われることですが、結果的に随分とアメリカ人アーティストに有利になっています。

ローリングストーン誌のような音楽雑誌による評論、これとて公平の様に思えますが、彼らの音楽歴史観アメリカがロックの母国である事の誇りに満ちています。イギリスがロック先進国である事を傍に置いてしまいます。彼らが出している偉大なアーティストや偉大な名曲のランキングはそういう意思が反映していると思っています。それについてはまた別の機会に話しましょう。

 

ビートルズエルトン・ジョンはこの壁を見事に超えて、60年代、70代にアメリカで最も売れたアーティストになりました。なので、イギリスのトップアーティストなら割とこの壁は簡単に超えられると思いがちですが、そうではありません。そのアーティストの特性、音楽の方向性、時代の流れ、そして、運などによって大きくその評価は左右されることとなります。

 

デビューから数年間のデヴィッド・ボウイはかなり先鋭的なアーティストでした。考え様によっては変態とも言える程に。ビートルズも時代の先端を行っていましたが、常にポップが同居していましたから、セールスが付いて来ました。エルトン・ジョンは正にポップの王道、いわゆる売れ線です。

冷静に今振り返ってボウイのアルバムを聴けば、サウンド的にはそれほど冒険を繰り返す訳ではないのですが、コンセプトやファッションに引き摺られ、ボウイはかなりマニアックな存在とならざるを得なかったと思います。

 

ボウイに限らず、イギリスのロックはアメリカの遥か先を行きます、少なくとも70年代は。しかし、同じグラムロックの雄マーク・ボラン率いるT.Rexは代表曲「Get It On」をTop10に送り込んだきりでした。

 

「Get It On」 T.Rex

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実験的音楽に傾倒するブライアン・イーノは妥協の無い音楽姿勢から商業的成功とは無縁。そのイーノが脱退したロキシー・ミュージックも「Love Is Drug」が最高30位の小ヒットのみ。

 

「Love Is Drug」 ロキシー・ミュージック

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ロキシーを率いたもう一人のブライアン、ブライアン・フェリーもヒットには無縁でした。

 

プログレの連中は芸術志向が強く、シングルヒットにより市場を開拓するタイプではなかったので、シングルチャート上の成功は80年代まで待たなければなりません。ピンク・フロイドキング・クリムゾン、イエスジェネシスELP の5大プログレバンド、あるいはジェネシスを脱退したピーター・ガブリエルなどは実力比世間的な知名度が上がらなかった印象です。

 

ハードロックのレッド・ツェッペリンはTop10ヒットは「Whole Lotta Love」1曲、

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ディープ・パープルも「Hush」「Smoke On The Water」Top10ヒット2曲、

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ブラック・サバスはシングルヒット無しです。

 

クイーンも70年代には「Bohemian Rhapsody」が9位、「We Are The Champions」が4位になっただけで、1位獲得は80年代になってからです。ちなみ「Bohemian Rhapsody 」はイギリスでは9週連続1位ですから、大きな違いです。

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70年代伝説のイギリス人アーティストたちはその先進性故必ずしも思うような商業的成功を手に入れられず、特にシングルチャートにおいては、アメリカのミュージシャンの後塵を拝して来ました。当時のアメリカのミュージシャンと言えば、イギリス人アーティストよりずっと平凡な白人バンドやシンガーソングライター、もしくはブラックミュージックでした。

 

ボウイも70年代通じてアメリカへの進出を図って来ましたが、ボウイの実力からすれば、小さな成功だったように思います。そんな中で、70年代のイギリスロックレジェンド達が果たそうにも果たせなかった、いや、敢えて果たそうとしなかった事を一つ行いました。それがシングルチャート、ビルボードでの1位獲得です。本日のテーマ「Fame」が1位に輝くのです。これは実はありそうで無い事です。

 

何故、ボウイは先鋭的姿勢のままシングルチャートで1位を獲得出来たのか?もちろん、この曲が掛け値無しにカッコいいからと思います。シンプルな繰り返しの中に微妙な変化がある面白さ、微妙に音がズレるセンスの良さ、変に気持ち悪い気持ち良さを感じる事が出来るのです。ただ、曲の良さを言ったら「Bohemian Rhapsody」だって、「Get It On」だってそうです。でも、1位は取れなかった。

 

1位に辿り着いた理由、それは音楽的にはあれがブルーアイドソウル、白人の手によるブラックミュージックの提案だったからと感じています。聴けば分かりますが、これはソウルミュージックです。あの繰り返しはジェームス・ブラウンをイメージします。でも、JBとは異質のものです。その上、ボウイと同時代のブラックミュージック、例えば、スティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイのそれとも全く違うのです。変な言い方ですが、本当のブラックミュージックの作り手には作れない気がしてなりません。今までに無いブラックミュージック、これがブラックミュージックの母国に刺さったと考えています。ちょっと突飛ですかね。

また、セールスアピール的にはジョン・レノンの参加が大きいと思います。ジョン自身セールスが伸び悩んでいた時期とは言え、ネームヴァリューは違うでしょう。ジョンのギターかっこいいんだよ。コーラスも。さすがのさすがです。

 

80年代に入ると、上述のイギリス人アーティスト達も多くがシングルチャートでの成功、つまり1位の座を手に入れます。これは二つの側面があります。アーティスト側が年を重ね落ち着いた。尖った部分が適度に丸くなり、広い層にアピールし易くなったのです。ボウイが80年代、ナイル・ロジャースと組んで作り上げたアルバム「Let's Dance」も適度に丸かったと感じています。もう一つマーケットの側も先進的なイギリス人アーティストの音楽性を体験して、受け入れ態勢が整って来たという事、特にMTVが普及した影響も大きかったでしょう。ようやく時代が彼らに追いつき、一方で彼らはその歩みの速度を落としたと言ったところです。

 

本日のテーマ「Fame」はビルボードで1位になりました。80年代に入り、ボウイは「Let's Dance」で再び1位を獲得しました。アルバムも大ヒットし、シングルヒットを連発、映画にもいくつも出演し、世界的なロックスターとなりました。正直、それでも正当に評価されていると言い難いですね。それほどデヴィッド・ボウイは偉大です。特に先鋭的な彼は。

それでは、また。

 

 

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「カラキリクルコロ」

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「春に死のう」

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