ムー大陸の音楽探検

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映画「太陽がいっぱい」の音楽

ムー大陸です

 

 

今回はタイトル通り、映画「太陽がいっぱい」の音楽について話します。

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ご存知の方も多いと思いますが、「太陽がいっぱい」は1960年に公開されたルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演のサスペンスです。

ストーリーはざっとこんな感じです。

ネタバレありますから、未見の方はご覧になった後でお読み下さい。

 

アラン・ドロン扮するトム・リプリーは、友人のフィリップに会いにアメリカからローマへやって来ます。実はトムはフィリップの父親から彼をアメリカに連れ戻すように頼まれたのです。報酬は5,000ドル。

フィリップは金持ちの放蕩息子、イタリアにはマルジュというフランス人の婚約者がいるし、気儘な生活を止める気は全く無く、従ってトムの言うことなど聞きもしない。それどころか、フィリップは金の為に父親の言う事をきくトムを軽蔑し、召使いの様に思っており、事あるごとに冷たく当たります。また、フィリップは結構捻くれた性格で、トムやマルジュの心まで弄び傷付けます。トムはフィリップへ殺意を抱き、密かに、かつ周到に殺人計画を進めます。同時に彼の財産とマルジュの心まで我がものにしようとするのです。そして、遂にトムは計画通り全てを手に入れたはずでしたが....。

 

多くの人が名作に挙げるルネ・クレマン監督の代表作の一つです。この映画を観て私が思う事は主に3つ、多分、皆さん同じだと思うのですが、

①とにかくアラン・ドロンがカッコいい

②景色が綺麗

③音楽が素晴らしい

です。

 

正直、私には映画の中でトムが実行する犯罪計画がそれほど緻密には思えません。割と杜撰で直ぐに露見しても驚きません。指紋とか気になります。なので、個人的にはそれほど面白いと思うほどの映画ではありません。

ただ、①!アラン・ドロン氏はカッコいい。ストーリーの展開上、フィリップの婚約者のマルジュがトムを愛するようになります。ここも結構物語としては無理があると感じるんですが、アラン・ドロン氏を見てしまうと、あり得るかなと思えてしまう。この映画で世界的な人気者になったのも頷けます。

ラストシーンはこのカッコいいアラン・ドロン氏が浜辺でくつろいでいる。この海の青さ、空の青さ、砂浜の白さ、これが②です。

そして、③です。

このラストシーン、アラン・ドロン氏も景色も美しいですが、それでもこれが最高と思えるのは音楽の力が大きいと思います。哀愁漂うテーマは美しい。計画通り全てを手に入れたトムは「最高の気分だ」と言います。ここで景色を見て「太陽がいっぱいだ」とも言っていますね。一方で父親がフィリップの船を売却しようと陸へ上げようとしたところ、モーターに絡んだワイアーの先に、手だけが見えた死体が引きずられて現れます。そこにマルジュの悲鳴が。そうとは知らずに再びくつろぐトム。最後は警察の計略でトムが「リプリーさん」と呼ばれます。一瞬怪しむトムですが、「電話ですよ」と聞いて安心した表情になります。ここら辺も巧みです。固定された画面からトムが消えて景色だけになって完結です。この一連の流れの中、テーマが何度も繰り返し流れます、それもアレンジも変えてありますね。最初はメロディを木管楽器で、その後ピアノ、最後はストリングスからオーケストラバージョンです。どれも良いです。

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さて、ここからが本日のテーマです。

この映画の音楽はニーノ・ロータ氏です。イタリア映画界の至宝、大巨匠です。「ゴッド・ファーザー」の音楽を聴いた事ない人は殆どいないでしょう。フェデリコ・フェリーニの数々の名画を音楽で支え、一般的には映画「道」の「ジェルソミーナ」が有名でしょうか。

「ゴッド・ファーザー 愛のテーマ」

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「ジェルソミーナ」

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とは言え、ニーノ・ロータ氏本人は自身をクラシック音楽界の人間だと考えている様で、映画音楽はある意味趣味的に楽しんでやっていたと語っています。彼の母親はそうした息子の儲かりもしないクラシック偏重が嫌いで、映画音楽作品しか聴かなかったと何かで読んだ事がありますね。昔の楽曲をいかに演奏するかだけに異様に心を砕く昨今のクラシック音楽界にあって、それは立派な姿勢だと思います。私も一応本人の意思を尊重し、彼のクラシック作品を可能な限り聴いてみようとしましたが、正直、印象が薄く、あまり覚えていないのです。

 

そんなニーノ・ロータ氏にとってこの「太陽がいっぱい」は世間的には代表作の一つですが、彼はこの映画に関わった事を深く後悔していると伝えられています。実際に何故そんなに嫌だったのか?いくつか話があります。

ルネ・クレマン監督と合わなかった

まぁ、これが全てでしょう。

監督は撮影が終わると、ラッシュを送りつけて来て、「これに音楽を付けてくれ」と頼んで来たそうです。

彼はフェリーニ監督とは綿密にやり取りをしながら進めていたらしいので、そういうスタイルが当たり前だと思っていたのでしょう。ただ、そこは監督によって違いますし、監督が決める事でしょう。だからこそ、一応仕事はしっかりしたけど、後悔しているという感じだったのかも知れません。

②繰り返しテーマを流す事を求められた

これもルネ・クレマン監督絡みですから、①の延長線上でしょう。この映画のサントラとして色々用意したけど、テーマばかり繰り返し要求されたという事です。これはどうでしょうか?映画何回も観ていますけど、全編に渡ってテーマが何度も流れるなんて無いと思います。テーマ以外も素晴らしい音楽だと十分分かります。繰り返しというのなら、恐らくは上述のラストシーンでしょう。確かに終わったと思ったらまた始まるという感じはします。ただ、あそこは繰り返し流して正解でしょう。いや、繰り返し流しましょう。わざわざアレンジを変える必要があるかとは感じます。ノンストップで繰り返し流すだけでも充分ですね。なので、これが本当だとしても、そこはルネ・クレマン監督に味方します。

③商業主義的な映画だった

これも何かで読んだ気がします。

やはりフェリーニ監督とのタッグで前衛的な作品、芸術志向の作品を手掛けて来た彼にとって、「太陽がいっぱい」のサスペンスは面白味のない商業主義に映ったという考えです。確かに個人的にはやや荒唐無稽な犯罪映画に見えます。しかし、ルネ・クレマン監督もフェリーニに劣らない名匠。メッセージ性の高い作品をいくつも撮って来た上での本作です。演出、撮影、演技などは全てクオリティが高く、そこらの「お芸術映画」よりしっかり仕上がってますから、そこはガセだと信じています。ニーノ・ロータ氏自身、他にも娯楽作品の音楽をやっていますから。

 

結局は巨匠同士ウマが合わなかったってこと事じゃありませんかね。そう言えば、黒澤明氏と武満徹氏も袂を分かちましたね、やはり、異なる分野の天才同士って難しいのでしょうか。いや、何でそこにこだわるかって言うと、まさか「この音楽が嫌い」って事じゃないよね、と言いたいのです。何しろ、「太陽がいっぱい」のサントラ盤って40年以上発売されませんでしたから。芸術家も色々あります、気難しくて捻くれてます。世間からもてはやされるだけで、「それほどでもない、みんなよく分かっていない」などと旋毛を曲げる事もあるかも知れません。そんな天才の気紛れによって、こんな名曲が気に入られない事もあるのか、そうだとすれば悲しいことだとの思いです。まぁ、そう言う話は聞いていないので、監督との不和によるものと考えましょう。

 

今はサントラ盤も入手してしっかり聴けます。アップルミュージックでの配信は無いと思います。是非映画を観て、その後サントラを聴いて下さい。

それでは、また。

 

 

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「呪い歌」

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