ムー大陸です
今回はタイトルの通り
について話したいと思います。
以前、ユーロビートの特集をした時に、その流行の下地になったのは70年代のディスコブームの際に拡大したユーロ・ディスコのムーブメントやマーケットがあったと言いました。
ダンス・ミュージックも含めポップ・ミュージックはやはり英米がリードしていたし、アメリカマーケットが世界の中心だったのは間違いありません。ただ、ディスコブームは大きな地殻変動で、英米のようなポップス先進国以外の音楽を活発化させたのです。
そして、その象徴と言えるのがドイツ、ミュンヘンと考えています。非英語圏であるドイツから世界的なヒットが多く生まれました。今日はそのムーブメントを振り返り、そこから生まれたアーティストを紹介していきます。
先ず第一に触れるべきはこの人を置いて他にはいません。ジョルジオ・モロダーです。彼はイタリア人でしたが、イタリア語とドイツ語両方が話される南チロル出身だったこともあってドイツを主戦場に音楽制作を行っていました。彼の名を一躍世界的にしたのはドナ・サマーとの出会いです。
後にディスコの女王となるサマー氏も1960年代終わりから70年代初頭は無名のミュージカル俳優でした。アメリカでは成功出来ず、彼女はドイツ語版「ヘアー」などに出演、ミュンヘンで活動していました。
1974年ドナ・サマーはモロダーのプロデュースでアルバムを発表、「Hostage」がオランダでヒット。これはまだディスコサウンドではありません。翌年、異色のダンス・ミュージック「Love To Love You Baby」をアメリカでビルボードチャート最高位2位の大ヒットにします。遂に母国へ凱旋を果たしました。そして、大事なことはドナ・サマーと共にジョルジオ・モロダーがアメリカ進出を果たしたということです。
「Love To Love You Baby」 ドナ・サマー
1976年ドナ・サマーはディスコミュージック史に残る重要作品「I Feel Love」を発表します。大胆にシンセサイザーを導入したディスコサウンドは当時としては画期的でした。同年、ジョルジオ・モロダーが自身のアルバム「Knights In White Satin」を出します。これらがジョルジオ・モロダーのディスコサウンドの基礎となり、ひいてはミュンヘン・ディスコの根っ子となります。
「I Feel Love」 ドナ・サマー
「Knight In The White Satin」 ジョルジオ・モロダー
1978年以降「MacArthur Park」「Hot Stuff」「Bad Girls」と立て続けにNo.1ヒットを放ち、彼女は遂にディスコの女王へ。ジョルジオ・モロダーは売れっ子プロデューサーとなり、ディスコ以外の音楽でも大成功、特に映画音楽では「フラッシュ・ダンス」「トップ・ガン」など世界的ヒット作を手掛けました。
それではジョルジオ・モロダー以外のミュンヘンはどうだったでしょう。何と言っても注目すべきはシルバー・コンベンションです。
彼らはジョルジオ・モロダーとドナ・サマーの「Love To Love Me」大ヒットの約1ヶ月前に「Fly Robin Fly」を全米1位に送り込んでいます。ミュンヘンで作られたディスコサウンドとして初めてアメリカを制覇したのです。何と「Fly Robin Fly Up Up To The Sky」歌詞はこれだけです。これなら非英語圏からでも可能です。実に上手い。この後彼らは「Get Up And Boogie(That's Right)」もヒットさせました。
「Fly Robin Fly」 シルバー・コンベンション
「Get Up And Boogie(That's Right)」 シルバー・コンベンション
ただ、アメリカで成功したのはジョルジオ・モロダーとドナ・サマー、シルバー・コンベンションだけでした。これは言葉の壁もあったと思います。ドナ・サマーは元々アメリカ人だし、シルバー・コンベンションは上述の様なアイディアで壁を越えましたが、それは厳然と存在しました。
しかしながら、アメリカでは成功しなかったディスコミュージックがイギリスを含むヨーロッパ各地でヒットしたり、我が日本にまで届いたという現象こそがディスコブームを世界規模の大きなムーブメントにしていたのです。つまり、アメリカ成功組はビー・ジーズのようなディスコブーム本流に乗ってしまったので、むしろミュンヘン・ディスコを体現しているのはヨーロッパや日本に独自にやって来たグループと言っていいでしょう。
その代表はもちろんボニーMです。
名曲たちの成績表27「Sunny」の回でボニーMには触れました。繰り返しになる部分もありますが、お許し下さい。ボニーMはアメリカではビルボードチャート30位に一曲ランクインしただけでした。彼らイギリスでは成功していますから、英語の壁は越えているのです。
では何がいけないのでしょう。これは以前にも話しましたが、それは彼らの趣味の悪さだと思うのです。過剰な演出、派手な衣装、そして、上手いとは言えない歌。全体的にやり過ぎ感満載なのです。国土も市場も小さいイギリスなら、一定数のファンを獲得してヒットに至っても、アメリカの大市場ではただのキワモノになってしまいます。
彼らの良さは個人的にはディスコのみと思っています。「Sunny」「Ma Baker」や、やり過ぎの典型「Rasputin(怪僧ラスプーチン)」、このあたりは大好きです。彼らの得意技の一つヘタクソな偽レゲエは馴染めません。
「Suuny」 ボニーM
「Rasputin(怪僧ラスプーチン)」 ボニーM
実はその趣味の悪さはある程度ボニーMだけの特徴ではなく、ミュンヘン・ディスコそのものに当てはまる特徴であり、更に言えば、ユーロ・ディスコ全体に共通の問題とも言えるでしょう。言ってしまえば本格派ではないという事の表れなのです。
如実にそれが表れているのがジンギスカンです。彼らはボニーMの最もやり過ぎと思える「Rasputin」を更にとことん突き詰めたグループです。1979年デビューです。ボニーMには上述の様に他の面もありましたが、ジンギスカンはそのやり過ぎしかありません。全曲やり過ぎ、グループ自体やり過ぎなんです。代表曲「Daschinghis Khan(ジンギスカン)」の「ウッ ハッ」にしても、「Moskau(めざせモスクワ)」の「ワハハハハ」にしても実に趣味が悪い。でも、彼らはその突き抜けた感じが魅力と考えましょう。その代表曲2曲は良いです。ただ、それ以外は飽きます。
「Daschinghis Khan」 ジンギスカン
「Moskau」
次は女性デュオです。バカラ。
スペイン人の女性二人ですが、ドイツでデビュー、1977年「Yes Sir, I Can Boogie(誘惑のブギー)」がヨーロッパ中で大ヒット。累計1,000万枚を超えているとも言われます。続く「Sorry, I'm A Lady(真夜中のレディ)」も大ヒットしました。ドナ・サマーの「Love To Love You」の様にセクシーヴォイスを大胆にフィーチャーしていますが、その処理の仕方には大きな差があり、かなり悪趣味に仕上がっています。あっ、すみません、一応これは褒めています。こちらもジンギスカン同様変な突き抜け感があります。ただ、1,000万枚超えって、今考えると、何故そんなに売れたのか正直よく分かりません。
「Yes Sir, I Can Boogie」 バカラ
「Sorry, I'm A Lady」 バカラ
最後はアラベスクです。
上述のバカラの成功などを受けて、1977年ドイツで結成された女性三人組です。デビュー曲「Hello Mr.Monkey」は日本でかなり売れており、ミュンヘン・ディスコを代表するグループの一角と思われそうですが、実は母国ドイツでは1曲だけしかTOP10ヒットがないのです。なので、「バカラの様にヨーロッパ中で売ろう」という目論見は見事に外れたのですが、何故かアジアの片隅日本でブレイク、80年代初頭の日本ではアバ、ノーランズと並ぶ人気者になりました。女性グループだったので、ミュンヘン・ディスコと言うよりキャンディ・ポップとして受け入れられました。私も日本人だからでしょうか、バカラよりアラベスクの方が好きです。と言うか、バカラはキワモノ臭がありますが、アラベスクは普通にチープなポップス(褒めてます)として聴けます。
「Hello Mr.Monkey」 アラベスク
「In For A Penny ,In For A Pound(恋にメリー・ゴーランド)」 アラベスク
「Midnight Dancer」 アラベスク
いかがでしょう?ミュンヘン・ディスコ。
決して趣味が良いとは思いません。
センスが無いと言われても反論しません。
でも、そこが良い。今聴いても変わらず面白いですね。
それでは、また。
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「呪い歌」
「騒乱節」