ムー大陸です
日本レコード大賞と日本歌謡大賞の歴史を振り返り、その違いから最高の歌謡曲を考えるという企画。今回はその2回目にして最終回です。
前回、日本歌謡大賞後始った1970年から1975年までの大賞を振り返りました。今回は1976年から10年間を追いかけましょう。
1976年
レコ「北の宿から」 都はるみ
歌謡「北の宿から」
この年も文句なしのダブル受賞です。売上1位の「およげ!たいやきくん」は子供向け、2位の「ビューティフル・サンデー」は洋楽です。3位の「北の宿から」で問題無しです。こういう年ばかりだと権威は揺るぎませんが、音楽の流行とはそう簡単なものではありません。「北の宿から」の作詞は阿久悠氏でしたが、作曲はCMソングやアニソン畑の小林亜星氏です。3年連続で歌謡界の巨匠たちは退けられたことになります。
1977年
歌謡「勝手にしやがれ」
4年連続ダブル受賞です。この年も割と安定です。「勝手にしやがれ」は売上第4位。1位と3位はピンクレディー、こちらは大衆賞でした。2位の「青春時代」は森田公一氏とは言え、ニューミュージック系の位置付けでしょう。従って、無難なセレクションと言えます。それにしても阿久悠氏は怪物です。2年連続大賞、ピンクレディー、「青春時代」も阿久悠氏ですから。1974年には大衆賞でお茶を濁された沢田研二氏がリベンジを果たしました。ある意味ロックが大賞に届いたとも言えるでしょう。
1978年
レコ「UFO」 ピンクレディー
歌謡「サウスポー」 ピンクレディー
この年はヒットチャートも賞レースもピンクレディー一色でした。オリコン年間チャートも1位「UFO」2位「サウスポー」3位「モンスター」です。ただ、よくレコ大がアイドルに大賞を与えたとは思います。文句なしの活躍でしたが、「ひょっとして」の思いが、レコ大のエントリー曲を、約1年前の発売だけど最も売れた「UFO」にさせたのではと勘繰ってしまいます。それが受賞曲の違う理由でしょうか。作詞の阿久悠氏は3年連覇です。
1979年
レコ「魅せられて」 ジュディ・オング
久々に割れました。ピンクレディーの人気は衰え、久々にチャート上位に演歌が帰って来ます。1位「夢追い酒」、3位「おもいで酒」、9位「みちづれ」など。ただ、どれもポッと出という印象でした。売上2位でミリオンヒットの「魅せられて」は妥当ではありますが、ジュディ・オング氏は女優が主と考えれば、これもポッと出とも言えます。まぁ、芸歴長いのでOKだったのでしょうか。むしろ、売上7位でもこれまでヒットを積み上げて来た西城秀樹氏に歌謡大賞というのはいい選択でした。特に外国人が作家に入っていると受賞出来ないとされるレコ大には洋楽カバーは選べません。独自性出てます。
1980年
レコ「雨の慕情」 八代亜紀
歌謡「雨の慕情」
ダブル受賞です。「雨の慕情」は印象的な楽曲ではありますが、実はオリコン年間チャートでは26位、その時点での売上で40万枚強。こんな時こそ割れそうですが、八代亜紀氏が独占。ここまで数度「最優秀歌唱賞」、つまり次点に甘んじた無冠の女王です。「そろそろ八代亜紀」のムードがあったのでしょう。売上上位の「ダンシング・オールナイト」「異邦人」「大都会」「ランナウェイ」「順子」あたりにあげる勇気は歌謡大賞にも無かった様です。こういうのが続くと権威に傷がつくところです。
1981年
歌謡「ルビーの指環」
ダブル受賞です。オリコン年間チャートも1位です。3つが同じ曲は初です。ピンクレディーは3冠でしたが、曲が異なっていました。その上、自作自演の作品が大賞というのはレコ大ではブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」以来、日本歌謡大賞では初。寺尾聰氏は俳優が主ですから、ポッと出の様にも思えますが、ジュディ・オング氏の時と同様芸歴も長いし、元々GS出身で、あくまで既成の芸能界側との認識でしょう。ちなみに2位の「奥飛騨慕情」もミリオンでしたが一発屋だからでしょうか、ノミネート無しでした。
1982年
久々割れました。「聖母たちのララバイ」が売上3位、「北酒場」が6位です。「心のこり」と「ロマンス」で新人賞争った2人の大賞争いと思いきや、「聖母たちのララバイ」は作曲に外国人作家がいる為レコ大対象外となりました。同曲は洋楽の盗作の訴えがあり、その洋楽の外国人作曲者を共作者にクレジットしたという経緯でした。順当に行けば、歌謡大賞のようにレコ大岩崎氏でおかしくありませんでした。ちなみに売上1位は「待つわ」2位は「セーラー服と機関銃」、フォークとアイドルなので除外です。
1983年
歌謡「さらば..夏」 田原俊彦
割れました。売上1位の「さざんかの宿」は一発屋の印象で、売上2位の「矢切の渡し」がレコ大受賞、結果細川氏は史上初の連覇となりました。一方で、歌謡大賞は一度も取れずとなりました。歌謡大賞の「さらば..夏」はオリコン年間36位、売上は恐らく30万枚未満でしょう。その年の代表する一曲ですらないと思います。不可解なセレクション、裏取引などを疑いたくなるほどです。ここはダブル受賞が順当だと思います。
1984年
歌謡「長良川艶歌」
重なりました。正直、売上TOP20は殆どニューミュージック系、アイドルらに占められていて、「長良川艶歌」は14位。本来なら大賞に松田聖子氏、最優秀歌唱賞に中森明菜氏、新人賞をチェッカーズあたりにしておけば、この先の展望もあったかも知れません。ただ、松田氏もチェッカーズも授賞式欠席です。それほど重要視していないという事でしょう。結局、唯一の演歌に大賞を与えたのはレコ大も歌謡大賞もどちらも終わりつつあるという事でしょう。この年を最後に殆どダブル受賞は消えてしまいます。それは絶対的なヒットが無いというか、大賞に相応しい歌謡曲が無い事を意味します。
1985年
レコ「ミ・アモーレ」 中森明菜
歌謡「大将」 近藤真彦
売上年間2位の中森明菜氏がレコ大。約60万枚強ですから、及第です。1位の「ジュリアに傷心」には最優秀スター賞で報いました。これは次点であり、昔の大衆賞ですね。妥当な線です。不可解なのは歌謡大賞の「大将」です。オリコン年間上位30位にも入らない、週間では最高位6位に留まった曲が選ばれるのは、近藤氏に与える意図を感じます。1983年と同様に。
この後、歌謡界のトップは中森明菜氏、光GENJIあたりでしたが、90年代以降はロックバンド全盛であり、レコ大のような賞を欲しがらないアーティストがチャートの中心となります。1993年を最後に日本歌謡大賞は終了。英断でした。レコ大も止めておくべきでした。主観による選別こそがこうした賞の権威の源でしたが、最後は排除して来た音楽が天下を取り、逆に駆逐された形となりました。
さて、こうして振り返って、
最高の歌謡曲とはどの曲だったのか?
歌謡曲の全盛期、アイドルを非実力派と侮り、フォーク、ニューミュージックの台頭を歯牙にもかけず、品の無いド演歌にはとことん冷たく、ポッと出の一発屋には敷居が高い、そんな誇り高い運営が許されたのは70年代半ばまででしょう。そこで文句なしにダブル受賞を果たした「また逢う日まで」が大賞の中の大賞と思います。次点はその牙城をアイドルとして破壊したピンクレディーの「UFO」でしょう。アンチという意味ではロック要素を歌謡界に染み込ませた「勝手にしやがれ」や「ルビーの指環」も記念碑的作品でしょう。「ルビーの指環」以外作詞は阿久悠氏です、驚きです。
演歌がいませんね、恐らく、演歌の全盛はもう少し前、69年以前ではないかと思っています。
流行歌の歴史はある意味旧来の日本歌謡的なものが洋楽の影響を受けて徐々に変容し、世代交代して来た歴史です。レコ大や歌謡大賞は最終的には流れについて行けなくなり、歴史の1ページになりました。
それでは、また。
ランキング参加始めました。ワンクリックよろしくお願いします。
私のYouTubeもチャンネルもよろしくお願いします。
新曲公開しました!是非聴いて下さい。
「騒乱節」
「頑張ってって言わないで」
「蒼の輪舞」