ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

日本レコード大賞と日本歌謡大賞①

ムー大陸です

 

 

本日はタイトル通り、

日本レコード大賞日本歌謡大賞について話していきたいと思います。日本歌謡界全盛期の流れ、衰退とその理由を考えます。また、二つの賞の違いから日本歌謡界最高の楽曲とは何かを考えていきたいと思います。

 

先ず、日本レコード大賞は現在も続く、日本音楽界の賞で、その年にヒットした楽曲、歌手、制作者などを表彰する制度です。

現在では見る影も無いほどの凋落ぶりですが、かつては日本歌謡界最高の栄誉でした。1959年に開始した時はそれほど注目される賞ではありませんでしたが、1970年代以降歌謡曲の人気が増すにつれて注目度が増し、大きな権威となります。

これをTBSが独占的に放送していたので、他の民法各局が持ち回りにする事を提案したが、TBSがこれを拒否したため、対抗する様に設立されたのが日本歌謡大賞です。歌謡曲全盛でしたから日本歌謡大賞も直ぐにレコ大に次ぐ権威となります。その他いくつも同じ様な音楽賞が設けられましたが、本気で歌手が欲しいと狙っていたのはレコ大、歌謡大賞くらいです。毛色が違う日本有線大賞にも権威があったかな。

日本レコード大賞は歌謡界最高の栄誉と言いましたが、それはどんな歌、どんな歌手が相応しいのか?いくつか条件というか傾向があります。

それが、

①その年大ヒットした曲

②新人は新人賞で報いる

③アイドル、ニューミュージックなどには

 大衆賞、特別賞、企画賞などで報いる

です。

①は当然です。但し、その年1番売上枚数が多かった曲が大賞を取るとは限りません。と言うか、そういう年の方が少ないです。それならオリコンの年間チャートと変わらないので、そこは独自の権威づけをします。

それが②や③です。デビュー曲がいきなりミリオンヒットする事もあるのが歌謡界です。でも、新人は新人賞の方で讃え、一線を画します。最優秀新人の方が売上が多い事もあり得ます。それよりも重要なのは③です。③が意味するところは、「大賞に相応しくない曲は売上が大きくても外すから」という事で、それを客観的な基準ではなく、レコ大側の主観でやるという事です。

例えば、歌唱力に劣るアイドルは大賞には相応しくない、でも売れているから人気者である事を評価して「大衆賞」を与えるのです。70年代はフォーク系のヒット曲も多かった。これらも時代の流れとして認めるけど、あくまで本流じゃないからね、という事で「大衆賞」もしくは「企画賞」。

具体例を挙げると、日本歌謡史上最大のヒット「およげ!たいやきくん」は本来大賞候補となるべきですが、やはり、子供向けであるからでしょうか、企画賞候補でしたが、それすらも受賞には至りませんでした。

これが正に独自性であり権威の源なのですが、一方で付け入る隙にもなり得るのです。仮にレコ大を凌駕しようとする日本歌謡大賞が「およげ!たいやきくん」に賞を与えたら、それが独自性となるし、かなり説得力もあると感じます。そこで日本歌謡大賞は同曲に特別賞を与えました。

はい、そうです。日本歌謡大賞は必ずしも日本レコード大賞と同じではありません。それは最高賞である大賞とて例外ではありません。と言うか、大賞を違えてこその独自性とも考えられます。なので、日本レコード大賞日本歌謡大賞の大賞が違う曲である事は結構起こり得るのです。

さて、日本歌謡大賞が始まったのが1970年、歌謡曲全盛期がいつかを特定するのは難しいところですが、70年代を通じて、つまり79年までを考えると、両方の大賞が同じ年が5回、異なる年が5回と正に半々。1985年まで振り返っても同じ年8回、異なる年8回と拮抗しているのが分かります。つまり、絶対的に「これだ!」と思える曲がある年は、敢えて冒険をせずに無難に纏めて、ここは意見が分かれるぞという時に独自性を発揮する訳です。

1970年以降個別に見ていきましょう。

1970年

レコ「今日でお別れ」菅原洋一

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歌謡「圭子の夢は夜ひらく」

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ちなみにこの年一番売れたのは「黒ネコのタンゴ」、次が「ドリフのズンドコ節」だったので、童謡とイロモノを避けて日本歌謡大賞は3番目に売れた「圭子の夢は夜ひらく」を大賞に持って来ました。「今日でお別れ」は60万枚の大ヒットですが、その年の8位です。そういう場合独自性出しやすい。レコ大は品格を重んじたんでしょうか。藤圭子氏を避けました。最初ですから、違う選択が出来て良かったでしょう。

 

1971年

レコ「また逢う日まで」 尾崎紀世彦

歌謡「また逢う日まで

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日本歌謡大賞2年目は大賞同一でした。同曲はミリオンヒットで、オリコン年間チャートで3位でした。1位の「私の城下町」は新人賞、2位の「知床旅情」はフォークの位置付けなのでしょうか、歌唱賞に留まりました。2年目で強力な曲があれば、同じでもいいと見せたことも重要です。何より「また逢う日まで」には風格がありました。

 

1972年

レコ「喝采」 ちあきなおみ

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歌謡「瀬戸の花嫁」 小柳ルミ子

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はい、割れました。これは開催の時期が影響しています。「喝采」は9月発売で、僅か3ヶ月で年末のレコ大をかっさらいました。11月中旬の日本歌謡大賞には間に合わなかった。歌謡大賞がその年オリコン年間2位の「瀬戸の花嫁」というのは納得の選択です。どちらも名曲ですから、割れて良かったとも思えます。ちなみにこの年の最大ヒットは「女のみち」です。トータル300万枚の大ヒットですが、やはり、品格でしょうか、こういうド演歌に賞は冷たいです。ノミネート無しでした。

 

1973年

レコ「夜空」 五木ひろし

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歌謡「危険なふたり」 沢田研二

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三度割れました。この年は大賞をあげにくい大ヒットが多かった。オリコン年間1位は2年連続「女のみち」、2位も同じぴんからトリオの「女のねがい」とド演歌。3位がガロの「学生街の喫茶店」でフォーク。4位が昨年のレコ大滑り込み「喝采」。歌謡大賞が5位の「危険なふたり」は妥当な線です。しかし、レコ大は何故かその「危険なふたり」を大衆賞にし、大賞を10月発売の「夜空」に。「喝采」は上述のように翌年の4位でしたから、結果的に大賞は正しかった。しかし、「夜空」は翌年オリコン年間19位です。その時点で売上38万枚。レコード会社は累計81万枚と言っていますが、本当でしょうか。レコ大の選択は疑問です。「神田川」「心の旅」もこの年TOP10、激戦の年でした。

 

1974年

レコ「襟裳岬」 森進一

歌謡「襟裳岬

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久々に重なりました。「襟裳岬」は累計100万枚超と言われていますが、実際どうでしょうか。この年のオリコン年間31位、翌年の年間77位とロングセラーではありますが、74年の年末時点で多くて40万枚程度。何故ダブル受賞かは不思議です。ただ、この年も年間1位「涙の操」はド演歌、2位「あなた」はニューミュージック系、3位「うそ」は新人賞、4位「ふれあい」はフォーク、5位「恋のダイヤル6700」はアイドルなど大賞に相応しいヒット曲がありませんでした。結果、「襟裳岬」は大賞に相応しかったとは思いますが、かなり審査姿勢は偏りが大きくなっていると感じます。

1975年

レコ「シクラメンのかほり」 布施明

歌謡「シクラメンのかほり

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連続でダブル受賞となりました。「シクラメンのかほり」は売上でこの年2位、1位の「昭和枯れすすき」はド演歌の一発屋でしたから、妥当な線です。2年連続でダブル受賞というより、連続で吉田拓郎小椋佳というニューミュージックの作家が歌謡曲の頂点を極めたことの方が重要かも知れません。歌謡曲の全盛期と考えていいこの頃から、既にレコ大の凋落の芽は出ていたとも言えます。

 

長くなりました。今回はここまでです。

次回は1976年から1985年までの10年間を見ていきます。そして、最高の歌謡曲を考えていきましょう。

それでは、また。

 

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