ムー大陸の音楽探検

ボカロP・ムー大陸が紹介する音楽のアレやコレや

洋楽至上主義25〜「Chereka(チェレカ)」

ムー大陸です

 

 

私のお気に入り洋楽をオススメする洋楽至上主義のコーナーです、今回は異色です、

 

「Chereka(チェレカ)」

 

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を取り上げます。

 

これはエチオピアの音楽です。これを洋楽、西洋の音楽と呼ぶのか?というのは棚上げにして下さい。海外の音楽ということで前に進みます。

民族音楽を聴き進めていくと、どこかでエチオピアの音楽と出会い、かなりの時間をそれに費やすことになります。エチオピアの音楽文化は豊かです。アフリカ最古の独立国と言われ二千年以上の王朝史を持ち、また東アフリカ唯一のキリスト教国でもあることから宗教音楽から派生した音楽や対岸のアラビア側のキリスト教文化にも影響されています。伝統的なものとしては主要な民族楽器であるハープの「クラール」などの演奏が多いです。

 

しかし、例えば、アップルミュージックなどで「エチオピア」と照会すると、「エチオピアン・ジャズ・ベスト」なるプレイリストが現れます。はい、そうです、伝統音楽だけではないのです、このエチオピアン・ジャズ、またはエチオ・ジャズの存在がこの国の音楽を世界で唯一無二のものにしています。

ただ、エチオピアン・ジャズは結構な高い壁です。一昔前はCDを入手するのが先ず困難でしたし、それ以上に情報量が圧倒的に少ないです。今ではサブスクの恩恵で音楽自体聴くことは容易になりましたが、個々のアーティストの人物像や背景などは依然として情報が少ないです。エチオピアは欧米に比べて遠い国でしょう、距離だけでなく。私も行ったことありません。一部熱心にそれを紹介してくれる方がいらっしゃるので、そういう書籍、記事で情報、知識を拾って来ました。

 

基本的なところを押さえておきましょう。エチオピアン・ジャズが生まれたのは1960年代後半とアップルミュージックにはあります。ムラトゥ・アスタトゥケというアーティストがこれを始め、「エチオ・ジャズの父」と呼ばれています。

彼はイギリス、アメリカに留学し、ジャズやラテンミュージックと出会い、祖国エチオピアの音楽との融合を図ります。主にアメリカで創作活動をしていた彼が1974年祖国に戻り、歴史的名作「Ethio Jazz」というアルバムを作ります。ここまでが最盛期です。1975年以降は軍事政権の誕生とともに弾圧を受け一気に終焉を迎えるのです。

1998年以降これらの音源が注目されて広く紹介されるようになりました。確かイランのレーベルが発掘して再発したと記憶しています。私たちが今聴けるのもそのお陰です。ありがたい事です。2000年代以降世界的に人気が盛り上がります。2013年にはフジロックにムラトゥ・アスタトゥケがやって来ました。

さて、多くの人が聴いたのがムラトゥ・アスタトゥケのアルバム以外ではエチオピークと呼ばれるコンピレーションのシリーズでしょう。このシリーズは秀逸で、ここからエチオ・ジャズへの長い旅を始めた人は数知れず、私もそうでした。

本日紹介する「チェレカ」もそのコンピに収録の一曲です。エチオピークVol.24の15曲目です。アップルミュージックでも聴けます。メネリック・ウェスナチュウという人が歌っています。本来ならムラトゥ・アスタトゥケの作品を紹介すべきとは思いますが、彼の作品はインストが多く、歌付きのものを紹介しようとした結果、この曲になりました。

「Yèkèrmo Sèw」

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聴いて頂くとすぐ分かると思うのですが、独特の雰囲気があります。妙なマイナー調の感じ、変な暗さ、哀愁を醸し出しています。この哀愁は元々のエチオピア音楽が5音階であること、いわゆるヨナ抜き音階であることから来ていると考えていいでしょう。日本と同じなんです。どこか演歌、民謡を感じさせる哀愁がありながら、ラテンのリズムやジャズのノリがあるといういい意味で雑多な感覚、他のアフロミュージックとも一線を画して、本当に唯一無二の味わいです。

 

もちろん、エチオ・ジャズには色んなタイプの曲がありますが、基本的な特徴を色濃く出しているこの曲を選びました。声の美しさも楽曲の哀愁と合っています。「チェレカ」は「おお月よ」という邦題があるので、そういう意味の歌でしょう。1973年12月に発表と言われていますから、正に絶頂期のエチオピア音楽界の息吹です。このメネリックという人はムラトゥ達ともやっていたそうです。軍事政権下国外脱出を図り、アメリカへ亡命、政権崩壊後母国へ戻ったそうです。2008年に亡くなっています。

今もエチオ・ジャズを継承するアーティストは登場しますし、ムラトゥ・アスタトゥケも現役で頑張っています。でも、メネリックのそんな経歴を聞くと当時のエチオ・ジャズとは一瞬の輝きを見せた奇跡の様に感じてしまいます。上述のコンピ、エチオピークは1969年から1975年を紹介していますが、大輪の花を咲かせたのは1974年の1年だとも言えます。「チェレカ」も実際流通したのはその年です。今こうしてエチオ・ジャズが聴けて幸せです。

それでは、また。

 

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新曲公開しました!是非聴いて下さい。

 

Fantastic Future

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「鬼火」

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「Evergreen」

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