ムー大陸の音楽探検

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日本は歌が下手な歌手に寛容である①

ムー大陸です

 

 

歌手とは歌が上手いもの。

誰でも常識的にそう思うでしょう。一流の歌手ともなれば、会場の隅々まで声は響き渡り、多くの聴衆を感動させる。そんな風に考えていることでしょう。

しかし、一方でこうも思っています。歌手だからと言って必ずしも歌が上手いとは限らない。素人より下手な歌手だって存在する、特にアイドル歌手なんかは。

はい、誰でも知っています、中には「歌が下手」な歌手もいる、そして、それは大体アイドル歌手と呼ばれる人たちであるということを。

 

アイドルの歴史を振り返ると、それは、ある意味、「歌が下手な歌手をどこまで許容するか」、これが拡大してきた歴史です。今回はその歴史を振り返ります。但し、私はあくまでそれを肯定的に捉えています、最初にそれだけは言っておきます。

 

昭和の歌手は作曲家に先生の下で修行し、相応の実力を身に付けてデビューするのが普通でした。徒弟制度のようなものもありました。しかし、アイドル歌手は違います。一言で言ってしまえば、アイドル歌手がデビューする理由は彼らのルックスです。見目麗しい男女が多くの同世代の若者を虜にするだろうと見込んで、彼らを人目につくところに置きたいのです。そのためにステージに上げる訳ですが、ただ黙って置いとく訳にもいかないので、歌でも歌わせようということです。

 

従って、例外はあるものの、彼らに歌の実力はありません。デビューに向けてレッスンを積んで歌唱力を少しでも向上させる努力はしますが、彼らには作曲家の先生の下、苦節何年なんて修行する時間はありません。そんなことをしていたら、肝心のルックスの方が衰えてしまいます。

ですから、レッスンは限られたものにならざるを得ません。もちろん、デビュー後もレッスンは継続されますが、デビュー時においてはまだまだ歌は未熟です。ただし、それは純粋に技術面おいて未熟なのです。発声方法や呼吸法を修得することによって歌唱力は改善します。アイドル達は元々表現力という面では優れているケースも多く、数年後には大人の歌手へ脱皮していくのです。

 

しかし、「どこまで下手な歌を許容したか」という面においてはデビュー時が勝負です。一度世の出てしまった「下手な歌」はアイドルの歴史に刻まれますし、私たちファンの記憶に残ります。「ここまで許容した」という爪痕になります。これはその歌手が後に本格派に成長しても消えません。なぜなら、「あそこまで許容されたんだから」と、次にデビューする歌手のハードルが下がるからです。その歌手が成長しても次の世代のアイドル歌手の歌唱力はだんだん下がっていくことになります。

 

戦後芸能界において数多くのアイドルを輩出し、一時は独占的ですらあった渡辺プロダクションは所属のアイドル歌手にしっかりとレッスンを施していたと思います。60年代中頃にはスパーク三人娘(中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり)が売れっ子でしたが、そこそこの歌唱力を有していました。

国民的人気女優・吉永小百合氏も歌手活動していました。ぎこちなさがありました。レコ大も取っているので、一定の爪痕となったとは思います。まぁ、本業は女優なので、みんな大目に見たと思います。

「いつでも夢を」  吉永小百合 橋幸夫

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また、60年代のアイドル達、弘田三枝子氏、黛ジュン氏、中村晃子氏などは元々結構な実力者でした。やはり、60年代はまだアイドルと言えど歌手は歌が上手いものという本来あるべき意識が十分残っていたと思います。

 

70年代に入ってナベプロは国民的アイドル天地真理氏を売り出しました。正直、歌唱力はイマイチでしたが、それでも下手だと揶揄するほどではありませんでした。しかし、人気絶頂でしたから、「ここまで許容した」爪痕になったと思います。

 

「恋する夏の日」 天地真理

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その後、麻丘めぐみ氏や南沙織氏も上手くはありませんでしたが、天地真理氏の爪痕の方が大きいでしょう。

 

男性アイドルは女性アイドルほど流動的ではありません。ざっくり60年代は御三家(橋幸夫舟木一夫西郷輝彦)、70年代は新御三家(野口五郎西城秀樹郷ひろみ)の時代です。橋幸夫氏はデビュー当時から実力派でしたし、皆総じて歌のレベルは高いです。デビュー当時の郷ひろみ氏の歌は頼りなく、一つ爪痕になったと言えるでしょう。

 

「男の子女の子」 郷ひろみ

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70年代中頃には大きな転換期を迎えます。アンチナベプロとして、「スター誕生」のようなオーディション番組がスタートします。デビューするのは10代の若者です。それもスカウトが探して来る逸材ではなく全国から自ら応募して来る素人です。多様なアイドルを発掘出来る体制にはなりますが、今まで以上にデビュー前のレッスンは即席感が強くなります。

 

「スター誕生」が最初に売り出した森昌子氏は早熟の演歌歌手、美空ひばりタイプの天才でしたが、桜田淳子氏以降は普通の10代です。桜田氏、その後登場した山口百恵氏も共に後で実力派の歌手へ変身したことは誰もが認めるところですが、だからと言ってデビュー時の拙い歌が消える訳ではありません。

 

ただ、この時期に最も強烈な爪痕を残したのは、彼女たちではありません。桜田氏がデビューした1973年のレコード大賞新人賞の顔ぶれです。最優秀が桜田氏、その他は安西マリア氏、アグネス・チャン氏、あべ静江氏、浅田美代子氏でした。やはり、天地真理氏以降徐々に歌唱力が落ちているように思います。

 

特に、浅田美代子氏はその後語り継がれるほどの歌唱力の無さでした。テレビドラマから登場した素人的な存在だったので、無理のない話ですが、70年代最大の強烈な爪痕となりました。

 

「赤い風船」 浅田美代子

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ただ、個人的には、翌年デビューした風吹ジュン氏も浅田氏に負けないくらいのレベルだったと思います。吐息と言える声量の無さは驚きです。

 

「愛がはじまる時」 風吹ジュン

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ただ、新人賞に届くまでではなかったので、浅田氏が70年代の記録更新と考えて間違いないでしょう。

 

「スター誕生」はその後、ピンク・レディーを生みます。一大ブームになった彼女たちですが、歌が下手という声はそれほどありませんでした。岩崎宏美氏はデビュー当時から抜群に歌に上手かった、演歌ではない新人としては稀有な例です。石野真子氏は歌に難ありで、爪痕も残したでしょうが、周囲の歌唱力低下が進んだ時期であり、特に目立つことはありませんでした。

ナベプロキャンディーズを輩出しています。歌唱力に問題ありませんでした。3人組というのも力強さがありました。

ホリプロスカウトキャラバンというオーディションを開始しました。実はそこから能瀬慶子という逸材が現れました。彼女の歌は下手でした。歌としては浅田氏を超えた拙さでしょう。ただ、人気を考えると、爪痕としては浅田氏より小さいか。

 

「アテンション・プリーズ」 能瀬慶子

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また、大場久美子氏もいましたね。彼女の歌も破壊力抜群でした。

 

「スプリング・サンバ」 大場久美子

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彼女は人気ありましたから、結構大きな爪痕でした。下手だったので、早めに女優へ注力したのが幸いでした。彼女も歌唱力では浅田氏に劣ると思いますが、浅田氏の「赤い風船」のようなヒットらしいヒットは無いので爪痕としては浅田氏より小さいか。

結局、70年代の最長不倒距離は浅田氏、歌唱力では大場氏、能瀬氏かも知れませんが、アイドルの歌唱力を総じて引き下げたのは、オーディション番組というシステムだったと思います。

しかし、それは終わりの始まりでしかありませんでした。80年代、アイドルの歌唱力は崩壊します。次回へ続きます。

それでは、また。

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